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長浜藩/場所・アクセス・地図 内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真...

【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1606年)、豊臣秀頼の動静を監視するために「内藤信成」が駿河国府中から移封さ...
黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃...

【藩名】 黒野藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄4年(1595年)に美濃黒野に4万石を与えられた。「関ヶ原の戦い」で貞泰は最初、西軍に与していたが途中から東軍に寝返り、本戦では「井伊直政」軍に属して活躍した。また、「長束正家」の居城である「近江水口城攻撃」でも戦功を挙げたため、...
田中藩/場所・アクセス・地図 大関家4万石:本多正訥 徳川家達の駿河入封のため安房長尾藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】

田中藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家達の駿河入封のため安房長尾藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 田中藩 【説明】 享保15年(1730年)7月11日に田中藩主「土岐頼稔」が大坂城代として転出した。土岐家の転出直後の7月28日、上野沼田藩から「本多正矩」が4万石で入封する。 本多氏は歴代藩主の相次ぐ幕閣入りで出費が激しく、藩財政は早くから苦しめられた。このため、第6代藩主「本多正寛」は藩政改革に着手したが...
葛野藩/松平家4万石:松平頼方 頼方(徳川吉宗)が紀州本家の跡を継いだため廃藩 【幕末維新写真館】

葛野藩/松平家4万石:松平頼方 頼方(徳川吉宗)が紀州本家の跡を継いだため廃藩 【幕末維新写真館】

【藩名】 葛野藩 【説明】宇 元禄10年(1697年)3月、紀州藩2代藩主「徳川光貞」の四男「松平頼方(後の8代将軍徳川吉宗)」は5代将軍「徳川綱吉」に江戸城内にて御目見し、綱吉から越前国丹生郡3万石を与えられ大名に取り立てられ諸侯に列した。そして葛野藩を立藩する。 その後、紀州本家の当主が次々と死去し、頼方が紀州家の...
鯖江藩/間部家4万石:間部詮道 井伊直弼と共に安政の大獄を断行し桜田門外の変後は減封された鯖江藩【幕末維新写真館】

鯖江藩/間部家4万石:間部詮道 井伊直弼と共に安政の大獄を断行し桜田門外の変後は減封された鯖江藩【幕末維...

【藩名】 鯖江藩 【説明】 鯖江藩は享保5年(1720年)9月、越後村上藩主「間部詮言」が鯖江5万石に移封されたことから立藩した。幕末には大坂城代や京都所司代、老中を歴任し、藩主「間部詮勝」は藩政改革を行ったが領民から厳しい摂取を図ったために失敗した。 詮勝は井伊直弼が推し進めた「日米修好通商条約」締結における処理や「...
大野藩/場所・アクセス・地図 土井家4万石:土井利恒 早くから西洋学を採り入れ軍備も当時新式だった越前大野藩【幕末維新写真館】

大野藩/土井家4万石:土井利恒 早くから西洋学を採り入れ軍備も当時新式だった越前大野藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大野藩 【説明】 大野城は天正3年(1575年)、織田信長の家臣「金森長近」によって築城された。長近が飛騨高山に移封された後、大野城には「青木秀以」「長谷川秀一」そして織田信長の次男「織田信雄」が城主となった。 その後は徳川幕府で大老を務めた「土井利勝」の四男「土井利房」が下野国内から入封する。江戸後期の大野...
長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】

長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 長尾藩 【説明】 慶応4年(1868年)5月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入封する。この移封に伴い、駿河田中藩4万石の藩主であった「本多正訥」は新政府より安房国への国替えが命じられた。 正訥は軍事的な観点から白浜...
真岡藩/稲葉家4万石:稲葉正勝 小田原へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

真岡藩/稲葉家4万石:稲葉正勝 小田原へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 真岡藩 【説明】 寛永4年(1627年)、「堀親良」が下野烏山藩に加増移封された後、「稲葉正成」が2万石で入封した。正成は「小早川秀秋」の家老だったが、秀秋没後は徳川家の家臣となって福井藩主「松平忠昌」付家老を経て大名となった。しかしその翌年に正成は58歳で死去し、跡を正成の子「稲葉正勝」が継ぎ自分が領してい...
磐城平藩/安藤家4万石:安藤信正【幕末維新写真館】

磐城平藩/安藤家4万石:安藤信正 坂下門外の変で浪士に襲撃された安藤信正の磐城平藩【幕末維新写真館】

【藩名】 磐城平藩 【説明】 歴代藩主の中で最も有名な人物は、第5代藩主「安藤信正」である。桜田門外の変の後、老中として幕政を主導したが、文久2年(1862年)の「坂下門外の変」で失脚、強制隠居処分に処されて所領も4万石に削減された。 慶応3年(1868年)の「戊辰戦争」では、安藤信正は佐幕派としての地位を貫き、磐城平...