よく読まれている記事

3万5千石

Tagged
丹後田辺藩(舞鶴藩)/場所・アクセス・地図 牧野家3万5千石:牧野弼成 戊辰戦争では新政府軍として参戦した田辺藩【幕末維新写真館】

丹後田辺藩(舞鶴藩)/牧野家3万5千石:牧野弼成 戊辰戦争では新政府軍として参戦した田辺藩【幕末維新写真...

【藩名】 丹後田辺藩 【説明】 寛文8年(1668年)、京極家に代わり「牧野親成」が摂津国より3万5000石で入城する。田辺牧野家の藩祖は「牧野康成」である。康成は初名を正勝、通称を半右衛門といい、その父は牛久保牧野氏寄騎の「牧野定成(八大夫)」とされる。 天正18年(1590年)に「徳川家康」が豊臣秀吉から関東を与え...
新宮藩(紀州藩附家老)/場所・アクセス・地図 水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕末維新写真館】

新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕...

【藩名】 新宮藩(紀州藩附家老) 【説明】 新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与したために没落する。その後、紀伊国に封じられた「浅野幸長」の家臣「浅野忠長」が新宮を領していたが、浅野氏が安芸広島藩へ移封されると、「徳川頼宣」の附家...
犬山藩(尾張藩附家老)/場所・アクセス・地図 成瀬家3万5千石:成瀬正肥 幕末の明治維新で尾張藩より独立した成瀬氏の犬山藩【幕末維新写真館】

犬山藩(尾張藩附家老)/成瀬家3万5千石:成瀬正肥 幕末の明治維新で尾張藩より独立した成瀬氏の犬山藩【幕...

【藩名】 犬山藩(尾張藩附家老) 【説明】 元和3年(1617年)、「徳川義直」の附家老として「成瀬正成」が3万石で入封し、尾張藩を補佐する成瀬氏犬山藩が立藩された。第3代当主「成瀬正親」の時代に5000石の加増を受けて合計3万5000石を支配することになり、尾張藩最大の重臣となった。なお、犬山城は「成瀬吉次」の治世で...
高瀬藩(熊本藩支藩)/細川家3万5千石:細川利永 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩【幕末維新写真館】

高瀬藩(熊本藩支藩)/細川家3万5千石:細川利永 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩【幕末維...

【藩名】 高瀬藩(熊本藩支藩) 【説明】 肥後新田藩は熊本藩の支藩で、寛文6年(1666年)熊本藩3代藩主「細川綱利」の弟「細川利重」が熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩した。江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行わない定府大名であった。 元治元年(1864年)4月、神田橋御門番の警備を、慶応元年(1865年)7月には佃島...
甲府新田藩/柳沢家3万5千石:柳沢時睦 本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩【幕末維新写真館】

甲府新田藩/柳沢家3万5千石:柳沢時睦 本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩【幕末維新写真...

【藩名】 甲府新田藩 【説明】 「柳沢吉里」は家督相続の際に弟の「柳沢経隆」と「柳沢時睦」に山梨・八代両郡の内の1万石を分与し、ここに「甲府新田藩」が立藩した。享保9年(1724年)3月、本藩の「柳沢吉里」が「大和郡山藩」へ移封されると、経隆は郡山藩の支藩として越後黒川藩1万石を立藩し、時睦は郡山藩の支藩として越後三日...
徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】

徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 徳美藩 【説明】 寛永10年(1633年)2月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった9,000石の所領から甲斐山梨郡3,000石を加増されて1万2,000石を領する大名となり、甲府城番を兼ねた。康勝の所領である山梨郡栗原筋三日市場村の十組屋敷(山梨県甲州市塩山三日市場)に陣屋が設置されて...
花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏【幕末維新写真館】

花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏【幕末維新写...

【藩名】 花房藩 【説明】 明治元年(1868年)、遠江国「横須賀藩主」であった「西尾忠篤」が、安房長狭郡花房村に3万5千石をもって入部し「花房藩」が立藩された。これは徳川宗家が江戸から「静岡藩」へ移封されたことによる替地としてあてがわれた所領である。 翌年の「版籍奉還」で忠篤は藩知事となり、明治4年(1871年)7月...
下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】

下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 下総山川藩 【説明】 慶長9年(1604年)に「松平定勝」の三男「松平定綱」は山川に5000石を与えられる。慶長14年(1609年)には1万石を加増され、1万5000石の大名となり「山川藩」を立藩した。 定綱は元和2年(1616年)、常陸国下妻藩に移封となり、代わって「水野忠元」が3万石で入封した。忠元は翌年...
沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知【幕末維新写真館】

沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知 新政府軍に恭順し三国峠の戦いで会津藩と交戦した沼田藩【幕末維新写真館...

【藩名】 沼田藩 【説明】 第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居したが、依然として藩への影響力を持ち、翌年に勃発した「戊辰戦争」では桑名藩や会津藩と姻戚関係にありながら新政府...