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2万5千石

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足守藩/場所・アクセス・地図 木下家2万5千石:木下利恭 備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を排出した足守藩【幕末維新写真館】

足守藩/木下家2万5千石:木下利恭 備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を排出した足守藩【...

【藩名】 足守藩 【説明】 豊臣秀吉の室「北政所」の兄で播磨国姫路城主2万5千石の「木下家定」が、慶長6年(1601年)に同じ2万5千石で転封され足守藩が立藩された。慶長13年(1608年)に家定が死去すると幕府は遺領を子の「木下勝俊」と「木下利房」に分与するよう指示したが、勝俊がこれを独占したことを理由に慶長14年(...
高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩【幕末維新写真館】

高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩【幕末維新写真館】

【藩名】 高取藩 【説明】 寛永17年(1640年)10月19日、大番頭であった「植村家政」が、9,000石から2万5,000石に加増されて大名となり高取藩が立藩された。第2代藩主「植村家貞」は万治元年(1658年)7月7日、弟の政春に3,000石を分与したため、石高は2万2,000石となる。さらに第3代藩主「植村家言...
鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕末維新写真館】

鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕...

【藩名】 鹿島藩(佐賀藩支藩) 【説明】 鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩である。佐賀藩の初代藩主「鍋島勝茂」の弟「忠茂」が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され元々領していた下総国香取郡内の5000石を加え2万5000石で立藩した。 当初は「常広城」を藩庁としていた。寛永19年(16...
鴨方藩(岡山藩支藩)/池田家2万5千石:池田政保 岡山藩宗家と行動をともにした鴨方藩【幕末維新写真館】

鴨方藩(岡山藩支藩)/池田家2万5千石:池田政保 岡山藩宗家と行動をともにした鴨方藩【幕末維新写真館】

【藩名】 鴨方藩(岡山藩支藩) 【説明】 鴨方藩は備中国の浅口郡・小田郡・窪屋郡を領有し藩庁は鴨方陣屋にあった。石高は2万5000石である。寛文12年(1672年)、「池田光政」の次男「政言」が立藩した。藩主はほとんど岡山城下に居住しており、江戸期を通じての名称は岡山新田藩で明治元年(1868年)に鴨方藩と改称した。 ...
平福藩/池田家2万5千石:池田輝興 赤穂藩の宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】

平福藩/池田家2万5千石:池田輝興 赤穂藩の宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 平福藩 【説明】 慶長6年(1601年)、姫路藩主「池田輝政」の甥「由之」が2万2千石を平福に分与された。そして中世の城郭「利神城」を5年を要して近代城郭へと改修した。由之は慶長14年(1609年)に3万2千石に加増され備前国下津井城の城番に転出した。一旦廃藩となった平福藩だが、元和元年(1615年)、岡山藩...
水口藩/場所・アクセス・地図 加藤家2万5千石:加藤明実 鳥羽・伏見の戦い以降新政府軍に属した水口藩【幕末維新写真館】

水口藩/加藤家2万5千石:加藤明実 鳥羽・伏見の戦い以降新政府軍に属した水口藩【幕末維新写真館】

【藩名】 水口藩 【説明】 天和3年(1682年)、賤ヶ岳の七本槍の1人として知られる「加藤嘉明」の孫で、石見吉永藩主「加藤明友」が祖父と自身の功により1万石の加増を受け、都合2万石にて近江国水口城主となり立藩した。水口城は造園の名手「小堀政一(遠州)」の手によるものと伝わっている。 明友の子、明英は譜代の格式を与えら...
金山藩/場所・アクセス・地図 松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられた。同年6月、信長が「本能寺の変」にて明智光秀により討たれると上杉氏や武田氏遺臣による反乱を恐れて北信濃を放棄し金山に戻り、以後は「羽柴秀吉」の家...
横須賀藩 /場所・アクセス・地図 西尾家2万5千石:西尾忠篤 譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一した横須賀藩【幕末維新写真館】

横須賀藩 /西尾家2万5千石:西尾忠篤 譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一し...

【藩名】 横須賀藩 【説明】 天和2年(1682年)、「本多利長」は江戸城にて罪状を読み上げられた上で横須賀藩を改易された。利長が改易されると信濃小諸藩より「西尾忠成」が2万5000石で入封した。幕末になると西尾氏は譜代の名門大名であることから佐幕派と尊皇派に分裂して抗争が続いた。 戊辰戦争が始まると尾張藩の説得を受け...
木本藩/松平家2万5千石:松平直良 越前勝山藩へ加増転封となったため廃藩【幕末維新写真館】

木本藩/松平家2万5千石:松平直良 越前勝山藩へ加増転封となったため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 木本藩 【説明】 元和9年(1623年)に越前福井藩主「松平忠直(結城秀康の子)」が改易された翌年、その弟である「松平忠昌」が福井藩主となる。このとき、忠直の弟たちに所領が分与されて「勝山藩」「大野藩」「丸岡藩」が成立した。木本藩も同じ時期に立藩され、忠直の弟「松平直良」が2万5千石を分与されて成立した藩であ...
吉江藩/松平家2万5千石:松平昌明 昌明が福井藩本家を継ぐことで廃藩【幕末維新写真館】

吉江藩/松平家2万5千石:松平昌明 昌明が福井藩本家を継ぐことで廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 吉江藩 【説明】 正保2年(1645年)、結城秀康の子で第3代福井藩主の「松平忠昌」が死去し「松平光通」が跡を継いだ。このとき、光通は異母兄の「松平昌勝」に松岡藩5万石を分与し、同じく異母弟の「松平昌親」に吉江藩2万5千石を分与した。 延宝2年(1674年)に福井藩主であった兄「松平光通」が死去すると、その遺...