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対馬府中藩(厳原藩)/場所・アクセス・地図 宗家2万石:宗義達 藩内では佐幕・尊皇で混乱を極めたが戊辰戦争では大坂まで兵を進めた対馬藩【幕末維新写真館】

対馬府中藩(厳原藩)/宗家2万石:宗義達 藩内では佐幕・尊皇で混乱を極めたが戊辰戦争では大坂まで兵を進め...

【藩名】 対馬府中藩(厳原藩) 【説明】 天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定に際して宗氏は豊臣政権への臣従を決め、本領安堵された。天正18年(1590年)には、当主「宗義智」が従四位下侍従・対馬守に任ぜられている。 江戸時代後期に入ると、周辺海域に欧米の船が出没するようになり、安政5年(1858年)には沿岸の...
庭瀬藩/場所・アクセス・地図 板倉家2万石:板倉勝弘 戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩【幕末維新写真館】

庭瀬藩/板倉家2万石:板倉勝弘 戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩【幕末維新写真館】

【藩名】 庭瀬藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で西軍主力となった宇喜多秀家の家臣「戸川達安」は、宇喜多家の内紛により徳川家康率いる東軍方に味方した。その功により、庭瀬2万9200石を領し庭瀬藩を立藩した。藩庁は庭瀬城に置いた。延宝7年(1679年)、無嗣断絶のため一時幕府領となった。 天和3年(1...
赤穂藩/森家2万石:森忠儀 赤穂浪士で有名な浅野家改易後森家が入封し幕末明治を迎えた赤穂藩【幕末維新写真館】

赤穂藩/森家2万石:森忠儀 赤穂浪士で有名な浅野家改易後森家が入封し幕末明治を迎えた赤穂藩【幕末維新写真...

【藩名】 赤穂藩 【説明】 元禄14年(1701年)、第3代藩主「浅野長矩(内匠頭)」は江戸城中で高家旗本「吉良義央(上野介)」に斬りつけ、長矩は切腹し浅野家は改易となった。そして元禄15年(1702年)、浅野家臣49名による吉良邸討ち入りが起こった(赤穂浪士:忠臣蔵)。長矩の弟「浅野長広」は赤穂新田3000石の所領を...
朽木藩/場所・アクセス・地図 朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家【幕末維新写真館】

朽木藩/朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家【幕末維新写真館】

【藩名】 朽木藩 【説明】 朽木氏は「朽木谷城」を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めていた。戦国時代の当主「朽木元綱」も「足利義輝」「足利義昭」に仕え、外祖父には公卿の飛鳥井雅綱を持つなどの名門だった。織田信長が越前朝倉攻めを行っている際、浅井長政の裏切りで危機に陥ったときに京都への脱出を助け、その後、信長や「豊臣秀吉...
大溝藩/場所・アクセス・地図 分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】

大溝藩/分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大溝藩 【説明】 大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていた。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信」が2万石で入封し大溝藩が立藩された。 第11代藩主「分部光貞」のときに幕末の動乱を迎えたが、光貞は中風に倒れ...
長島藩/場所・アクセス・地図 増山家2万石:増山正修 伊勢国内の大部分が新政府軍に降ったため恭順した長島藩【幕末維新写真館】

長島藩/増山家2万石:増山正修 伊勢国内の大部分が新政府軍に降ったため恭順した長島藩【幕末維新写真館】

【藩名】 長島藩 【説明】 天正2年(1574年)、伊勢長島は「織田信長」の攻撃を受けて一向一揆衆2万人が虐殺されたことで有名である。その後、領主は「滝川一益」「織田信雄」「豊臣秀次」とめまぐるしく変わり、慶長3年(1598年)に「福島正則」の弟「福島高晴」が1万石で入封した。 慶長5年(1600年)に高晴は大和宇陀松...
本荘藩/場所・アクセス・地図 六郷家2万石:六郷政鑑 奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍に従った本庄藩【幕末維新写真館】

本荘藩/六郷家2万石:六郷政鑑 奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍に従った本庄藩【幕末維新写真館】

【藩名】 本荘藩 【説明】 六郷氏は戦国時代には出羽国山本郡六郷を支配する国人領主で、仙北七人衆の一に数えられていた。「六郷政乗」のとき豊臣秀吉の「小田原征伐(北条征伐)」に従軍し、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では東軍(徳川家康)に与して小野寺氏を攻撃した。戦後その功績により六郷4500石から、佐竹義宣が移...
勝浦藩/場所・アクセス・地図 大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩【幕末維新写真館】

勝浦藩/大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 勝浦藩 【説明】 天和2年(1682年)4月、上総・安房・近江・丹波などに所領を持っていた「植村忠朝」は新たに2000石を加増されて1万1000石を領する大名となり、「勝浦藩」を立藩した。植村氏は「本多忠勝」の寄騎で里見氏(館山城)の牽制などで功績を挙げた譜代大名である。 元禄10年(1697年)2月、忠朝の...
伊勢上野藩/場所・アクセス・地図 分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】

伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏の存続を許した。主家である長野氏は信長の弟「織田信包」を養子に迎えたため家名存続を許された。 光嘉は「織田信包...
西江原藩/森家2万石:森長直 赤穂藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

西江原藩/森家2万石:森長直 赤穂藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 西江原藩 【説明】 西江原藩は江戸中期の10年間存在した藩である。元禄10年(1697年)、森成利(蘭丸)の弟「忠政」を藩祖に持つ美作国津山藩の断絶にともない、津山藩2代藩主だった隠居中の「長継」が2万石で立藩することを許された。領地は備中国後月郡西江原(岡山県井原市)周辺を領有し、西江原に陣屋が置かれた。 ...