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1万7千石

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仁正寺藩(西大路藩)/場所・アクセス・地図 市橋家1万7千石:市橋長和 鳥羽・伏見の戦い以降新政府に属し西大路藩と改名した仁正寺藩【幕末維新写真館】

仁正寺藩(西大路藩)/市橋家1万7千石:市橋長和 鳥羽・伏見の戦い以降新政府に属し西大路藩と改名した仁正...

【藩名】 仁正寺藩(西大路藩) 【説明】 元和6年(1620年)、「市橋長政」が近江国蒲生、野洲両郡と河内国内に合わせて2万石を与えられたことから仁正寺藩が立藩された。長政は元和8年(1622年)1月、幕命により「市橋長吉」に2000石を分与したため所領は1万8000石となった。長政は「徳川家光」のもとで奉行として功を...
作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 作手藩 【説明】 「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に7000石を領した。「関ヶ原の戦い」の戦功にて、慶長7年(1602年)には1万石の加増を受け1万7000石となり作手へ入封し、三河...
埴科藩(松代藩支藩)/真田家1万7千石:真田信重 嗣子がないことで松代藩に吸収され廃藩【幕末維新写真館】

埴科藩(松代藩支藩)/真田家1万7千石:真田信重 嗣子がないことで松代藩に吸収され廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 埴科藩(松代藩支藩) 【説明】 松代藩主「真田信之」の次男の「真田信政」が、慶長17年(1622)年に1万7千石を分与さ埴科藩が立藩した。寛永16年(1639年)6月、信政が上野国沼田藩へ移封されると、信政の所領は弟の「真田信重」が継いだ。しかし信重は正保4年(1647年)2月、嗣子なくして松代城にて死去し、...