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1万3千石

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山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】

山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】

【藩名】 山上藩 【説明】 元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を歴任したことで、藩財政のひっ迫を招いた。 幕末期の藩主「稲垣太清」は大番頭や大坂定番、海軍奉行などの要職を歴任...
堅田藩/堀田家1万3千石:堀田正敦 藩政や城下町の整備に力を注いだが下野佐野へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

堅田藩/堀田家1万3千石:堀田正敦 藩政や城下町の整備に力を注いだが下野佐野へ移封のため廃藩【幕末維新写...

【藩名】 堅田藩 【説明】 戦国時代、堅田は堅田水軍と呼ばれる水軍衆が存在し、安土城を本拠とする織田信長にとって堅田は重要な拠点だった。徳川家康が天下を統一すると、元禄11年(1698年)3月7日、下野国佐野藩主であった「堀田正高」が1万石で堅田に移封され堅田藩が立藩した。 藩政の基礎は初代藩主「正高」から第3代藩主「...
近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】

近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維...

【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として復帰を許され、上野国吉井藩に封じられた。正休は元禄11年(1698年)に吉井から近江国坂田郡宮川に移封となり宮...
八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】

八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居したときには若年寄に任じられて吉宗直属となった。享保元年(1716年)、吉宗が将軍識に就いた頃に伊勢国内で10...
野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】

野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】

【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子「織田長則」が嗣子なくして死去したため無嗣断絶により廃藩となった。 なお、織田有楽...
掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

【藩名】 掛塚藩 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」のもとで御小姓を努めたことから2000石を与えられた。 寛永18年(1641年)に忠澄が死去すると、その家督と所領950...
松長藩/大久保家1万3千石:大久保教翅 荻野山中藩へ陣屋を移したため廃藩【幕末維新写真館】

松長藩/大久保家1万3千石:大久保教翅 荻野山中藩へ陣屋を移したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 松長藩 【説明】 小田原藩主「大久保忠朝」の次男の「大久保教寛」が元禄11年(1698年)に相模愛甲郡・足柄上郡・高座郡に6000石の分与を受けた。さらに、宝永3年(1706年)10月に若年寄に就任したことで、駿河駿東郡・富士郡、伊豆国君沢郡・田方郡など5000石を加増され1万1000石の大名となった。そして...
荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義【幕末維新写真館】

荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義【幕末維新写真館】

【藩名】 荻野山中藩(小田原藩支藩) 【説明】 荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩である。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩した。 慶応4年(1868年)「徳川家達」の駿府入封にともない、駿河国内の領地に替えて相模国愛甲郡内の旧幕府旗本領を与えられ、現在の厚木市周辺に領地を集中さ...
一宮藩/場所・アクセス・地図 加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】

一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】

【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉還」で久宜は一宮藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で一宮藩は廃藩となり一宮県となった。 さらに...
武蔵小室藩/場所・アクセス・地図 伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】

武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 武蔵小室藩 【説明】 豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室1万3000石を与えた。これが小室藩の立藩である。(現在の伊奈氏館跡) 忠次は慶長15年(1610年)6月に病死し、後を嫡男の「伊奈忠政」が継いだ。忠政は「大坂の陣」で戦功を挙げたが、元和4年(16...