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田原藩/場所・アクセス・地図 三宅家1万2千石:三宅康保 家老の渡辺崋山が数々の改革を行った田原藩【幕末維新写真館】

田原藩/三宅家1万2千石:三宅康保 家老の渡辺崋山が数々の改革を行った田原藩【幕末維新写真館】

【藩名】 田原藩 【説明】 第11代藩主「三宅康直」の時代である天保3年(1832年)、家老に登用された「渡辺崋山」は有能な人材登用のために各高分合制の給与改革、備蓄制度の義倉制度の整備などを行ない、天保の大飢饉から藩を救った。 天保12年(1841年)、崋山の死後には農政家の「大蔵永常」などによる藩政改革、財政改革が...
成羽藩/山崎家1万2千石:山崎治敏 幕末に藩領を見直され1万2千石あまりとなり再立藩した成羽藩【幕末維新写真館】

成羽藩/山崎家1万2千石:山崎治敏 幕末に藩領を見直され1万2千石あまりとなり再立藩した成羽藩【幕末維新...

【藩名】 成羽藩 【説明】 元和3年(1617年)、因幡若桜藩より「山崎家治」が3万石にて移封となり成羽藩が立藩される。それまで鶴首城を主城としていたが新たに成羽城を築き周辺の整備も行った。寛永15年(1638年)、家治は肥後富岡藩に1万石加増の上、転封となった。代わって寛永16年(1639年)、常陸下館藩より「水谷勝...
三上藩/遠藤家1万2千石:遠藤胤城 徳川慶喜側近のため佐幕派を貫き領地没収となった三上藩【幕末維新写真館】

三上藩/遠藤家1万2千石:遠藤胤城 徳川慶喜側近のため佐幕派を貫き領地没収となった三上藩【幕末維新写真館...

【藩名】 三上藩 【説明】 嘉永5年12月(1853年)、第5代藩主「遠藤胤統」は江戸城西の丸造営の功績を賞されて2000石の加増を受けた。幕末の万延元年(1860年)には城主格に格上げされている。胤統は文久3年(1863年)に隠居し、後を孫の「遠藤胤城」が継いだ。 胤城は講武所奉行に任じられ、長州征伐が勃発すると多く...
菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】

菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】

【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は土方雄久の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸国太田に追放となった。しかし「関ヶ原の戦い」直前にその罪を許され、伊勢・近江国にて1万2000石の所領を与えられて...
清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩【幕末維新写真館】

清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 清水藩 【説明】 「斎藤道三」や「織田信長」に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」は、嫡男の「稲葉貞通」に家督を譲っていた。貞通の庶兄に「稲葉重通」がいたが、父一鉄の死後、清水を中心に1万2000石の所領を領した。重通は慶長3年(1598年)10月3日に死去し、その後を子の「稲葉通重」が継ぐ。通重は「...
青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 青野藩 【説明】 元和4年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて5000石を与えられた。寛永5年(1628年)5月に正次は死去し、嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の「稲葉正吉」が後を継いだ。明暦2年(1656年)12月に正吉の後を継いだ「稲葉正休」は、天和元年(1681年)7月に2000石を...
大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】

大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大給藩 【説明】 大給松平家は「徳川家康」の5代前の松平家当主「松平親忠」の次男「松平乗元」より始まり代々松平宗家に譜代の家臣として仕えた。第5代当主「松平真乗」の次男で「徳川秀忠」に仕えた「松平真次」は、「大坂の陣」の功により加増を受ける際、先祖ゆかりの三河加茂郡大給を望み、6000石の旗本としてこの地に陣...
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】

安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房...

【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は1万2千石で、所領の一部は越前国や上野国にも存在した。 幕末の安房勝山藩は幼少の藩主のもとで藩内が「佐幕派」と...
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】

六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】

【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の警護を務めたが、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」ではいち早く新政府軍に恭順した。 明治2年(1869年)6...
原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 原市藩 【説明】 小田原征伐後に関東に入封した「徳川家康」は、尾張国出身の譜代の家臣「西尾吉次」に5000石を与えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」でも戦功を挙げた吉次は、慶長7年(1602年)に美濃国内に7000石を加増され、合計1万2000石を領する大名となった。これに伴い、「原市藩」を立藩した...