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請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 請西藩陣屋(真武根陣屋) 【史跡の説明】 請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任した時に、時の当主「林忠英」が小姓として出仕したことに発する家である。忠英は将軍の寵臣となり「側用人」や「若年寄」などを歴任し徐々に立身...
三稜郭跡/写真 五稜郭・四稜郭の他にも三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 幕末写真館】

伝三稜郭跡:五稜郭・四稜郭の他にも三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 伝三稜郭跡 【伝三稜郭跡の説明】 戊辰戦争最後の激戦、函館戦争では榎本武揚率いる旧幕府軍がいくつもの陣屋や砲台を急造した。千代ヶ岡台場や弁天台場、四稜郭などが代表的な建造物として知られている。 そんな中、新たに「三稜郭」や「七稜郭」もあったのではという研究結果が報告されている。あくまで現存する資料をもとに検...
流山陣屋/写真 近藤勇と土方歳三が勝沼の戦いで敗れ再起を図ろうとした流山陣屋【史跡 幕末写真館】

流山陣屋:近藤勇と土方歳三が勝沼の戦いで敗れ再起を図ろうとした流山陣屋【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 流山陣屋跡 【流山陣屋の説明】 薩摩藩・長州藩が主力の新政府軍に「鳥羽伏見の戦い」で敗れた旧幕府軍や新撰組は、惨憺たる思いで江戸へ帰還する。 近藤勇率いる新撰組はその名を「甲陽鎮撫隊」と改め、甲府城を奪取し新政府軍の江戸侵入を阻む計画を立てるが板垣退助率いる新政府軍(東山道鎮撫総督府軍)に「甲州勝沼の戦い」...
西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西瑞藩【幕末維新写真館】

西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西瑞藩【幕末維新写真館...

【藩名】 西端藩 【説明】 元治元年(1864年)、第10代領主「本多忠寛」が江戸警備の功績などにより1万500石への高直しを許され、ここに本多氏は大名となり西端藩を立藩した。慶応3年(1867年)5月20日に忠寛は病気を理由に隠居し、嫡男の「本多忠鵬」が家督を相続した。忠鵬は明治元年(1868年)にいち早く新政府軍に...
松長藩/大久保家1万3千石:大久保教翅 荻野山中藩へ陣屋を移したため廃藩【幕末維新写真館】

松長藩/大久保家1万3千石:大久保教翅 荻野山中藩へ陣屋を移したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 松長藩 【説明】 小田原藩主「大久保忠朝」の次男の「大久保教寛」が元禄11年(1698年)に相模愛甲郡・足柄上郡・高座郡に6000石の分与を受けた。さらに、宝永3年(1706年)10月に若年寄に就任したことで、駿河駿東郡・富士郡、伊豆国君沢郡・田方郡など5000石を加増され1万1000石の大名となった。そして...
上総苅谷藩/堀家1万石:堀直良 上総八幡藩へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】

上総苅谷藩/堀家1万石:堀直良 上総八幡藩へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 上総苅谷藩 【説明】 寛永19年(1642年)、「堀直景」は父である「堀直之」の遺領9500石を継いで本来の所領500石と合わせて1万石を領する譜代大名として諸侯に列した。これにより「上総苅谷藩」が立藩された。 直景は寛文8年(1668年)8月に家督を嫡男「堀直良」に譲って隠居し、出家して宗三と号した。直良は...
矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】

矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【...

【藩名】 矢島藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」において、新政府軍に対抗すべく「奥羽越列藩同盟」が結成される。矢島藩12代当主「生駒親敬」は当初同盟軍に加盟したが、久保田藩からの誘いを受け、家中を勤王論に統一し新政府軍に与した。これにより庄内藩からの攻撃を受け、親敬は矢島陣屋を自焼して久保田藩へ撤退する...