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岩滝藩/本庄家1万石:本庄道章 石畑へ藩庁を移したため廃藩【幕末維新写真館】

岩滝藩/本庄家1万石:本庄道章 石畑へ藩庁を移したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 岩滝藩 【説明】 「本庄道章」の祖父「本庄道芳」は時の将軍「徳川綱吉」の母「桂昌院」の異母兄であったため、道章は宝永2年(1705年)3月に1万石の大名として取り立てられた。そして諸侯に列して岩滝藩を立藩した。はじめは美濃各務郡の岩滝村に陣屋を構えたが、宝永6年(1709年)に陣屋を美濃山県郡高富村石畑に移し...
深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末維新写真館】

深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末...

【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増された。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領する大身の旗本となっていた。 寛永元年(1624年)、重昌の父である「板倉勝重」が死去すると、兄の「板倉重宗」...
半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【幕末維新写真館】

半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【...

【藩名】 半原藩 【説明】 半原藩は岡部藩が慶応4年(1868年)4月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩である。岡部藩安部氏は元々、武蔵国岡部に陣屋を置く5千石の旗本であったが。徐々に所領が拡大していき、ついに2万石の藩になるまでなった。 そして、陣屋を本領である...
大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】

大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大給藩 【説明】 大給松平家は「徳川家康」の5代前の松平家当主「松平親忠」の次男「松平乗元」より始まり代々松平宗家に譜代の家臣として仕えた。第5代当主「松平真乗」の次男で「徳川秀忠」に仕えた「松平真次」は、「大坂の陣」の功により加増を受ける際、先祖ゆかりの三河加茂郡大給を望み、6000石の旗本としてこの地に陣...
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】

松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩庁などの大半を焼失した。その後再建を試みるが十分な復興をみないままに「廃藩置県」で松川藩は廃藩となり、松川県が...
額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】

額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 額田藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の四男「松平頼元」が、水戸藩領のうち那珂郡内2万石を分与され額田藩が立藩した。当初は領地がなく、水戸藩から2万石分の年貢を与えられるだけの形であったが、翌年には年貢を直接徴収できるようになった。また、御三家の分家であるため「参勤交代」の義務がな...