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大溝藩/場所・アクセス・地図 分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】

大溝藩/分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大溝藩 【説明】 大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていた。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信」が2万石で入封し大溝藩が立藩された。 第11代藩主「分部光貞」のときに幕末の動乱を迎えたが、光貞は中風に倒れ...
刈谷藩/場所・アクセス・地図 土井家2万3千石:土井利教 藩主が上洛して明治天皇に拝謁し駿府城守備を命じられた刈谷藩【幕末維新写真館】

刈谷藩/土井家2万3千石:土井利教 藩主が上洛して明治天皇に拝謁し駿府城守備を命じられた刈谷藩【幕末維新...

【藩名】 刈谷藩 【説明】 刈谷藩主「稲垣重富」は元禄15年(1702年)9月7日に上総大多喜藩へ移封される。その後、「阿部正春」が1万6000石で入封するが、第2代藩主「阿部正鎮」の時に上総佐貫藩へ移封される。越後村上藩より「本多忠良」が5万石で入封するが、正徳2年(1712年)7月12日に下総古河藩へ移封。 日向延...
富山藩(加賀藩支藩)/場所・アクセス・地図 前田家10万石:前田利同 加賀藩宗家から迎えられた最後の藩主前田利同【幕末維新写真館】

富山藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利同 加賀藩宗家から迎えられた最後の藩主前田利同【幕末維新写真...

【藩名】 富山藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主「前田利常(前田利長の弟)」が隠居するとき、次男の「前田利次」に富山10万石を、三男の「前田利治」に大聖寺7万石の分与し、富山藩と大聖寺藩が立藩した。 江戸後期から幕末には財政問題と権力争い、御家騒動などが勃発し宗藩加賀藩の介入を招いた...
請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 請西藩陣屋(真武根陣屋) 【史跡の説明】 請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任した時に、時の当主「林忠英」が小姓として出仕したことに発する家である。忠英は将軍の寵臣となり「側用人」や「若年寄」などを歴任し徐々に立身...
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】

高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館...

【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を高井郡・水内郡の領地と美濃国石津郡・海西郡内の領地を交換された。これにより高須に藩庁を定め、高須藩が再び成立し...
半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【幕末維新写真館】

半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【...

【藩名】 半原藩 【説明】 半原藩は岡部藩が慶応4年(1868年)4月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩である。岡部藩安部氏は元々、武蔵国岡部に陣屋を置く5千石の旗本であったが。徐々に所領が拡大していき、ついに2万石の藩になるまでなった。 そして、陣屋を本領である...
村松藩/堀家3万石:堀直弘 藩主は奥羽越列藩同盟に殉じた村松藩【幕末維新写真館】

村松藩/堀家3万石:堀直弘 藩主は奥羽越列藩同盟に殉じた村松藩【幕末維新写真館】

【藩名】 村松藩 【説明】 幕末期の村松藩内では尊王論が台頭し、尊王攘夷と軍制改革を主張する一派と対立し、慶応2年(1866年)11月に「村松七士事件(尊王攘夷派7名を保守派が処刑した事件)」が起こるなど、藩内は混乱を極めた。 このため「戊辰戦争」に際して、新政府に与するべきと主張する正義党の「近藤安五郎」を中心とした...
徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】

徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 徳美藩 【説明】 寛永10年(1633年)2月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった9,000石の所領から甲斐山梨郡3,000石を加増されて1万2,000石を領する大名となり、甲府城番を兼ねた。康勝の所領である山梨郡栗原筋三日市場村の十組屋敷(山梨県甲州市塩山三日市場)に陣屋が設置されて...
佐倉藩/場所・アクセス・地図 堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】

佐倉藩/堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】

【藩名】 佐倉藩 【説明】 現在の印旛郡酒々井町には下総守護千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城「本佐倉城」があるが、江戸時代の佐倉城とは別である。現在の佐倉城は幕府重臣だった「土井利勝」が江戸時代に入ってから築城した珍しい城である。 佐倉藩主は代々譜代大名が城主となり、土井家をはじめ堀田氏、戸田氏、大久保氏、松平氏、...
小見川藩/場所・アクセス・地図 内田家1万石:内田正学 西南戦争にも参戦した小見川藩最期の藩主 内田正学【幕末維新写真館】

小見川藩/内田家1万石:内田正学 西南戦争にも参戦した小見川藩最期の藩主 内田正学【幕末維新写真館】

【藩名】 小見川藩 【説明】 幕末期の小見川藩では慶応4年(1868年)3月、脱藩藩士による蜂起が起こるなどして藩内は混乱した。小見川藩としては佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では官軍に協力している。 最後の藩主「内田正学」は明治2年(1868年)の版籍奉還で藩知事となる。...