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長浜藩/場所・アクセス・地図 内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真...

【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1606年)、豊臣秀頼の動静を監視するために「内藤信成」が駿河国府中から移封さ...
駿府藩(静岡藩)/場所・アクセス・地図 徳川家70万石:徳川家達 徳川宗家の存続が認められ江戸城から駿河国へ移封され立藩【幕末維新写真館】

駿府藩(静岡藩)/徳川家70万石:徳川家達 徳川宗家の存続が認められ江戸城から駿河国へ移封され立藩【幕末...

【藩名】 駿府藩(静岡藩) 【説明】 慶応3年(1867年)の「大政奉還」により、江戸幕府は滅亡した。慶応4年(1868年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」で徳川幕府は新政府軍に敗れ、第15代将軍「徳川慶喜」は朝敵となる。その後新政府軍は東海道鎮撫使、東山道鎮撫使、北陸鎮撫使などの軍を発し、各地で旧幕府軍を破りながら江戸へと...
朝日山藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟で敗れた山形藩が移封されて立藩した朝日山藩【幕末維新写真館】

朝日山藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟で敗れた山形藩が移封されて立藩した朝日山藩【幕末維新写真...

【藩名】 朝日山藩 【説明】 朝日山藩は現在の滋賀県長浜市に存在した藩である。明治3年7月17日(1870年8月13日)から明治4年7月14日(1871年8月29日)の「廃藩置県」までの約1年間存在した。奥羽越列藩同盟に与して新政府軍に敗れた山形藩主「水野忠弘」が同じ5万石をもってここに移封された。 朝日山藩は明治4年...
上有知藩/金森家2万石:金森長光 長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩【幕末維新写真館】

上有知藩/金森家2万石:金森長光 長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 上有知藩 【説明】 「豊臣秀吉」は「佐藤秀方」に上有知城2万5,000石を与えて統治させた。その子の「佐藤方政」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で西軍に加担して岐阜城の戦いにおいて戦線離脱したため改易された。 一方、方政の叔父で飛騨一国を支配する「金森長近」は東軍に与して戦功を挙げたため、戦後に所領...
重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【幕末維新写真館】

重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【...

【藩名】 重原藩 【説明】 重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替えという珍しい処罰を課せられた。 福島藩主「板倉勝尚」は「戊辰戦争」で「奥羽越列藩同盟」に加盟し新政府に反抗した...
布市藩/土方家1万石:土方雄久 前田利長との領地交換により石崎藩を立藩し廃藩【幕末維新写真館】

布市藩/土方家1万石:土方雄久 前田利長との領地交換により石崎藩を立藩し廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 布市藩 【説明】 慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」後、「土方雄久」が「徳川家康」から越中国新川郡に1万石を与えられ布市藩を立藩した。富山市布市の興国寺前の「殿方屋敷」または富山市陀羅尼寺(現在の富山市上栄)の「矢竹藪」が陣屋跡とされている。 慶長13年(1608年)、雄久の従兄弟である「前田利...
長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】

長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 長尾藩 【説明】 慶応4年(1868年)5月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入封する。この移封に伴い、駿河田中藩4万石の藩主であった「本多正訥」は新政府より安房国への国替えが命じられた。 正訥は軍事的な観点から白浜...
曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】

曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 曾我野藩 【説明】 曽我の地は江戸時代を通じて幕府直轄領であった。明治2年の「廃藩置県」により葛飾県の管轄となり、明治3年(1870年)3月には、下野国高徳藩知事であった「戸田忠綱」が曾我野に移封となった。ここに「曾我野藩」が立藩された。翌明治4年(1871年)、7月の「廃藩置県」によって曾我野藩は曾我野県と...
菊間藩/水野家5万石:水野忠敬 沼津藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】

菊間藩/水野家5万石:水野忠敬 沼津藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 菊間藩 【説明】 明治元年(1868年)5月、徳川家達が駿府藩(70万石)に移ったことにより、それまで「沼津藩主」だった「水野忠敬」の所領5万石のうち2万3700石が上知となった。その代わりとして上総国市原郡菊間において2万3700石が与えられたことから「菊間藩」が立藩された。忠敬は新たな藩庁の建設や藩校の創...
桜井藩(貝淵藩)/松平家1万8千石:松平信敏 徳川宗家の駿河転封による替地として立藩【幕末維新写真館】

桜井藩(貝淵藩)/松平家1万8千石:松平信敏 徳川宗家の駿河転封による替地として立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 桜井藩(貝淵藩) 【説明】 明治元年(1868年)7月13日、徳川宗家の駿河・遠江への転封に伴い、駿河国小島藩から1万石で「松平信敏」が上総国に替地として移転した。当初は上総国周准郡南子安村金ヶ崎(君津市南子安)に子安陣屋を置いて藩庁とし、金ヶ崎藩と称した。しかし翌年3月に藩庁を望陀郡桜井村に移し、桜井藩と改...