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美濃高松藩<松ノ木藩>/徳永家3万石:徳永寿昌 関ヶ原の戦いの功績で美濃高須藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

美濃高松藩<松ノ木藩>/徳永家3万石:徳永寿昌 関ヶ原の戦いの功績で美濃高須藩へ移封のため廃藩【幕末維新...

【藩名】 美濃高松藩<松ノ木藩> 【説明】 美濃高松城にははじめ、吉村信実・吉村氏吉が入封していた。吉村親子は「織田信長」に仕えたが、信長没後はその次男である「織田信雄」に仕えた。しかし信雄が改易されると吉村親子は「徳川家康」に従い関東に移った。 代わって高松には「豊臣秀吉」の家臣「徳永寿昌」が2万石で入封する。寿昌は...
金山藩/場所・アクセス・地図 松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられた。同年6月、信長が「本能寺の変」にて明智光秀により討たれると上杉氏や武田氏遺臣による反乱を恐れて北信濃を放棄し金山に戻り、以後は「羽柴秀吉」の家...
多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 多良藩 【説明】 織田信長・豊臣秀吉に仕えた「関盛信」には「関一政」という息子がいた。一政は天正10年(1582年)から天正16年(1588年)まで多良を支配していたが、やがて「蒲生氏郷」の与力大名として会津に移されたため、多良は大垣城主の支配地となる。しかし秀吉没後に政権を掌握した「徳川家康」によって「関ヶ...
黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃...

【藩名】 黒野藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄4年(1595年)に美濃黒野に4万石を与えられた。「関ヶ原の戦い」で貞泰は最初、西軍に与していたが途中から東軍に寝返り、本戦では「井伊直政」軍に属して活躍した。また、「長束正家」の居城である「近江水口城攻撃」でも戦功を挙げたため、...
大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した。 安永3年(1774年)7月、忠友は「田沼意次」の四男を婿養子に迎えたことにより、意次との関係が深まった。そ...
三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 三河中島藩 【説明】 「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩1万石が立藩した。重矩は万治3年(1660年)11月に大坂定番に任じられて功を挙げたことから、1万石を加増された。 寛文5年(1665年)12月には老中に栄進し、翌年には上野国や武蔵国内などにおいて2万石を加増された。寛文8年...
伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 伊保藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与した岩崎城7000石の領主である「丹羽氏次」は、戦後に恩賞として3000石を加増されたことから1万石の大名として伊保藩を立藩した。氏次は関ヶ原の戦いの翌年に死去し、後を子の「丹羽氏信」が継いだ。 氏信は「大坂の陣」で武功を挙げたことなどから、...
作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 作手藩 【説明】 「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に7000石を領した。「関ヶ原の戦い」の戦功にて、慶長7年(1602年)には1万石の加増を受け1万7000石となり作手へ入封し、三河...
重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【幕末維新写真館】

重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【...

【藩名】 重原藩 【説明】 重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替えという珍しい処罰を課せられた。 福島藩主「板倉勝尚」は「戊辰戦争」で「奥羽越列藩同盟」に加盟し新政府に反抗した...
相良藩 /田沼家1万石:田沼意正 上総国小久保藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

相良藩 /田沼家1万石:田沼意正 上総国小久保藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 相良藩 【説明】 天明6年(1786年)、将軍「徳川家治」が死去すると「松平定信」の粛清にあって「田沼意次」は失脚し強制的に隠居させられた。そして、意次の孫「田沼意明」が家督を継いだが、陸奥下村藩に1万石で移封された。定信はさらに、和泉国岸和田藩主の「岡部長備」に相良城を破却させて相良藩は廃藩となる。 文政6...