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板倉家

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深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末維新写真館】

深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末...

【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増された。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領する大身の旗本となっていた。 寛永元年(1624年)、重昌の父である「板倉勝重」が死去すると、兄の「板倉重宗」...
三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 三河中島藩 【説明】 「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩1万石が立藩した。重矩は万治3年(1660年)11月に大坂定番に任じられて功を挙げたことから、1万石を加増された。 寛文5年(1665年)12月には老中に栄進し、翌年には上野国や武蔵国内などにおいて2万石を加増された。寛文8年...
重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【幕末維新写真館】

重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【...

【藩名】 重原藩 【説明】 重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替えという珍しい処罰を課せられた。 福島藩主「板倉勝尚」は「戊辰戦争」で「奥羽越列藩同盟」に加盟し新政府に反抗した...
坂木藩/板倉家3万石:板倉重寛 陸奥福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

坂木藩/板倉家3万石:板倉重寛 陸奥福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 坂木藩 【説明】 天和2年(1682年)2月、「板倉重種」が蟄居することで坂木藩が成立した。重種は武蔵岩槻藩6万石の藩主で老中を務めていたが、天和元年(1681年)に罷免されて蟄居を命じられた。蟄居の翌年、重種は幕府に所領返還を申し出たが、祖父の「板倉重昌」の功績から、重種の長男「板倉重寛」に坂木藩3万石、甥...
高滝藩(信濃国坂木藩支藩)/板倉家2万石:板倉重高 備中庭瀬藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

高滝藩(信濃国坂木藩支藩)/板倉家2万石:板倉重高 備中庭瀬藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 高滝藩(信濃国坂木藩支藩) 【説明】 天和3年(1683年)、信濃坂木藩5万石の藩主「板倉重種」の甥である「板倉重宣」が重種から2万石を分与され「高滝藩」が立藩した。所領は上総市原郡のほか、信濃伊那郡・佐久郡の三郡にあった。しかし重宣は貞享元年(1684年)に21歳の若さで死去し、後を養嗣子の「板倉重高」が継...
安中藩/板倉家2万石:板倉勝殷【幕末維新写真館】

安中藩/板倉家2万石:板倉勝殷 幕末期に同志社大学を創設した新島襄を排出した安中藩【幕末維新写真館】

【藩名】 安中藩 【説明】 安中藩は幕末期に「和宮降嫁」のために中山道の守備を務めた。「偽官軍事件」として有名な「赤報隊」事件はこの安中で起こっている。慶応4年(1868年)3月には老臣を上洛させて、いち早く新政府に恭順の姿勢を示し同年4月には新政府軍に弾薬を献上する。 明治4年(1871年)の「廃藩置県」で、安中藩は...
福島藩/板倉家3万石:板倉勝達【幕末維新写真館】

福島藩/板倉家3万石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国重原藩へ移封となった板倉氏【幕...

【藩名】 福島藩 【説明】 元禄15年(1702年)に板倉氏が3万石にて福島藩へ入封した。明治元年(1868年)、12代藩主「板倉勝達」は「奥羽越列藩同盟」に与したため、領土を奥羽内に移された。これに伴い元々飛地だった三河重原に藩庁を移して重原藩を立藩した。 明治2年(1869年)6月、「版籍奉還」で重原藩知事となり、...