よく読まれている記事

旗本

Tagged
井伊谷藩/場所・アクセス・地図 近藤家1万5千石:近藤秀用 一族へ所領分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

井伊谷藩/近藤家1万5千石:近藤秀用 一族へ所領分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 井伊谷藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後、「井伊直政」が戦傷が原因で死去すると、直政の家臣だった「近藤秀用」は「池田輝政」の仲介もあって「徳川家康」の直臣として召し出され、上野国において5000石を与えられた。 その後、「大坂の陣」でも戦功を挙げたため、秀用は慶長19年(1614年)に相...
美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 美濃長谷川藩 【説明】 「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の関ヶ原の本戦で西軍が壊滅し、東軍の「小早川秀秋」を主力とした軍勢が佐和山城に迫ると守知は秀秋に内応して小早川軍...
徳野藩/平岡家1万石:平岡頼資 家督争いの為廃藩となり旗本として残った平岡家【幕末維新写真館】

徳野藩/平岡家1万石:平岡頼資 家督争いの為廃藩となり旗本として残った平岡家【幕末維新写真館】

【藩名】 徳野藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に寝返ったことで有名な「小早川秀秋」だが、その寝返り工作をした家老に「稲葉正成」と「平岡頼勝」がいた。頼勝は慶長7年(1602年)に秀秋が死去して小早川家が断絶すると流浪の身となり、やがて「徳川家康」に召し出されて慶長9年(1604年)8月、美濃...
関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩【幕末維新写...

【藩名】 関藩 【説明】 関藩の藩祖は「大島光義」である。光義は織田信長・豊臣秀吉に仕え、慶長3年(1598年)に1万1200石を与えられて大名となった。 慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」では、西軍参謀「石田三成」に妻子を人質に取られたが、妻子を顧みずに東軍に与して戦功を挙げた。光義は戦後、1万8000...
掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

【藩名】 掛塚藩 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」のもとで御小姓を努めたことから2000石を与えられた。 寛永18年(1641年)に忠澄が死去すると、その家督と所領950...
大輪藩/土井家1万石:土井利直 継嗣問題で減封の上廃藩 旗本となる【幕末維新写真館】

大輪藩/土井家1万石:土井利直 継嗣問題で減封の上廃藩 旗本となる【幕末維新写真館】

【藩名】 大輪藩 【説明】 古河藩主として有名な「土井利勝」の五男「土井利直」は正保元年(1644年)9月、父の遺領から5000石を相続する。万治元年(1658年)9月、兄の「土井利隆」の子「土井利重」が宗家を継ぐと5000石を分与され、合わせて1万石の所領となり大名として列したため、岡田郡大輪村に「大輪藩」を立藩した...
仁賀保藩/仁賀保家1万石:仁賀保挙誠 江戸時代に分与旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

仁賀保藩/仁賀保家1万石:仁賀保挙誠 江戸時代に分与旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 仁賀保藩 【説明】 寛永元年2月14日(1624年4月1日)に挙誠が死去すると、その所領は長男・仁賀保良俊に7,000石、次男・仁賀保誠政に2,000石、三男・仁賀保誠次に1,000石とそれぞれ分封されて旗本となり、仁賀保藩はわずか1年で廃藩となった。 寛永5年に主馬が、同8年に良俊が死去し、両家は無嗣断絶し...
中津山藩(仙台藩支藩)/伊達家3万石:伊達邦賢 江戸城登城中に旗本を斬ったため改易となった中津山藩【幕末維新写真館】

中津山藩(仙台藩支藩)/伊達家3万石:伊達邦賢 江戸城登城中に旗本を斬ったため改易となった中津山藩【幕末...

【藩名】 中津山藩(仙台藩支藩) 【説明】 翌元禄9年(1696年)1月11日に六本木に藩邸が落成し、10月28日に中津山を藩庁とすることが公的に確認されると、次第に中津山藩は藩としての体裁を整えていった。 ところが元禄12年(1699年)9月9日、江戸城に登城する途上で、供回りの者が行列を横切った旗本「岡孝常」と刃傷...