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伊賀上野藩/場所・アクセス・地図 筒井家20万石:筒井定次 外様大名の筒井氏が政務怠慢により改易された伊賀上野藩【幕末維新写真館】

伊賀上野藩/筒井家20万石:筒井定次 外様大名の筒井氏が政務怠慢により改易された伊賀上野藩【幕末維新写真...

【藩名】 伊賀上野藩 【説明】 大和の国「筒井順慶」は「織田信長」の家臣となって「松永久秀」を滅ぼし、大和一国の国主となった。天正12年(1584年)、順慶は35歳の若さで死去し、その後を養嗣子で従弟の「筒井定次」が継いだ。そして翌年、「豊臣秀吉」の命によって定次は大和郡山から伊賀上野20万石に移封となった。 これは、...
興国寺藩/場所・アクセス・地図 天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】

興国寺藩/天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 興国寺藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐により、徳川家康が関東に移ると豊臣家三中老の「中村一氏」が駿府城主として駿河14万5000石を領し、興国寺城には家臣の「河毛宗左衛門」が入った。慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」直前に一氏は死去し、後を子の「中村一忠」が継いだ。一忠は東軍に与して戦功を挙げたため、戦...
七尾藩/場所・アクセス・地図 前田家21万5千石:前田利政 関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易 兄利長に吸収された七尾城【幕末維新写真館】

七尾藩/前田家21万5千石:前田利政 関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易 兄利長に吸収された七尾城【幕末...

【藩名】 七尾藩 【説明】 「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えていた「前田利家」は加賀藩100万石を築き上げた。利家は長男「前田利長」に家督と加賀の所領を与え、次男「前田利政」に能登七尾21万5000石を分与していた。利家の死の翌年、「関ヶ原の戦い」が起こると、利長は東軍(徳川家康)・西軍(石田三成)のどちらが勝利しても...
常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万:場所・アクセス・地図 松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩【幕末維新写真館】

常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万石:松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩【幕末維新...

【藩名】 常陸宍戸藩 【説明】 元々は「秋田実季」が5万石で入封したが陸奥三春藩へ転封のため、水戸藩の支藩として宍戸藩が立藩された。8代藩主「松平頼位」は水戸藩主「徳川斉昭」に同調して、軍事改革などを積極的に行なっている。「天狗党の乱」では、9代藩主「松平頼徳」が幕命により鎮圧に当たったが失敗に終わり、且つ、天狗党に同...
伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】

伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】

【藩名】 伊勢林藩 【説明】 「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握っていた。その信包が「大坂冬の陣」直前に72歳で死去すると、遺言により家督は三男の「織田信則」が後を継ぐこととなった...
美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げたため、美濃国内に1万石を与えられ大名となった。 安信は自分の娘を鳥取藩主「池田長幸」の次男「池田長純」に嫁がせ...
清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩【幕末維新写真館】

清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 清水藩 【説明】 「斎藤道三」や「織田信長」に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」は、嫡男の「稲葉貞通」に家督を譲っていた。貞通の庶兄に「稲葉重通」がいたが、父一鉄の死後、清水を中心に1万2000石の所領を領した。重通は慶長3年(1598年)10月3日に死去し、その後を子の「稲葉通重」が継ぐ。通重は「...
青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 青野藩 【説明】 元和4年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて5000石を与えられた。寛永5年(1628年)5月に正次は死去し、嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の「稲葉正吉」が後を継いだ。明暦2年(1656年)12月に正吉の後を継いだ「稲葉正休」は、天和元年(1681年)7月に2000石を...
揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩【幕末維新写真館】

揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 揖斐藩 【説明】 戦国時代「西尾光教」は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に2万石を領していた。「関ヶ原の戦い」で西軍の「大谷吉継」の制止を振り切って「徳川家康」に与したため、吉継によって曽根城は焼き払われた。その後、光教は岐阜城・大垣城攻撃などで戦功を挙げたため、1万石を加増されて曽根城から揖斐に移って3万...
掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】

【藩名】 掛塚藩 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」のもとで御小姓を努めたことから2000石を与えられた。 寛永18年(1641年)に忠澄が死去すると、その家督と所領950...