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大垣藩/場所・アクセス・地図 戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末維新写真館】

大垣藩/戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末...

【藩名】 大垣藩 【説明】 第11代藩主「戸田氏共」は第2次長州征伐に参加し、慶応2年(1866年)からは藩政改革を断行している。慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」では大垣藩兵も旧幕府軍と共に新政府軍と戦い、朝敵に指定された。しかし新政府に出仕していた大垣藩士「小原鉄心」が直ちに大垣に帰国して先々代藩...
野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】

野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】

【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子「織田長則」が嗣子なくして死去したため無嗣断絶により廃藩となった。 なお、織田有楽...
大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩【幕末維新写真館】

大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村...

【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得た。その後、「戸田氏利」が後を継ぎ、元禄元年(1688年)7月、さらに氏利の後を継いだ「戸田氏成」が、兄の戸田氏定から美濃国内の新田3,...
畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩【幕末維新写真館】

畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩【幕末維新写真館...

【藩名】 畑村藩(大垣新田藩) 【説明】 元禄元年(1688年)7月、「戸田氏利」の後を継いだ「戸田氏成」のときに兄の戸田氏定から美濃国内の新田3000石を分与され、さらに養父の氏利の所領と渥美郡内の新田分を合わせて1万石となったため、大垣新田藩が立藩した。 そして藩庁を三河国渥美郡畑村に置いた。このため畑村藩とも呼ば...
曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】

曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】

【藩名】 曾我野藩 【説明】 曽我の地は江戸時代を通じて幕府直轄領であった。明治2年の「廃藩置県」により葛飾県の管轄となり、明治3年(1870年)3月には、下野国高徳藩知事であった「戸田忠綱」が曾我野に移封となった。ここに「曾我野藩」が立藩された。翌明治4年(1871年)、7月の「廃藩置県」によって曾我野藩は曾我野県と...
足利藩/場所・アクセス・地図 戸田家1万1千石:戸田忠行【幕末維新写真館】

足利藩/戸田家1万1千石:戸田忠行 大政奉還後は新政府軍に恭順した足利藩【幕末維新写真館】

【藩名】 足利藩 【説明】 宝永2年(1705年)1月、将軍世子である「徳川家宣」の御側役を務めていた「戸田忠時」が1万1000石を領することとなったため、大名に列して足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない大坂定番や奏者番などを務めた。 明治2年(1869年)6月の「版籍奉還」で最後の藩主「戸田忠行」は足利藩知事...
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】

高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】

【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名となり高徳藩を立藩した。 領地は高徳・藤原・塩原など下野で1735石、河内国若江・丹北など5265石、他に新田...
宇都宮藩/場所・アクセス・地図 戸田家7万7千石:戸田忠友【幕末維新写真館】

宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維...

【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹部の「藤田小四郎(藤田東湖の子息)」は尊王色が強い戸田家を味方にしようとしたが、中老の「県勇記」が巧みに交渉を...