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長浜藩/場所・アクセス・地図 内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真...

【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1606年)、豊臣秀頼の動静を監視するために「内藤信成」が駿河国府中から移封さ...
松坂藩/場所・アクセス・地図 古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】

松坂藩/古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 松坂藩 【説明】 戦国時代、この地には織田信長の次男「織田信雄」が入封しこの地を松ヶ島と改め、松ヶ島城を築城し五層に及ぶ天守と城下町を建設した。信長没後、信長の娘婿「蒲生氏郷」が12万石で入り、松坂城を新たに築城し城下町の建設を行なった。 この地を松坂と命名したのは氏郷である。氏郷が「小田原征伐」の功で会津に...
岐阜藩/場所・アクセス・地図 織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕末維新写真館】

岐阜藩/織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕...

【藩名】 岐阜藩 【説明】 天正20年(1592年)に「織田信長」の嫡孫「織田秀信」が「豊臣秀吉」の計らいによって13万石で岐阜城へ入封した。岐阜の地は信長の時代から天下布武の重要な拠点であったが、本拠地を安土に移すとその重要性も薄れていった。しかし、安土移転後も信長の嫡男「織田信忠」が城主を務めるなど依然織田氏の重要...
飛騨高山藩(高山藩)/場所・アクセス・地図 金森家3万3千石:金森頼時 出羽国上山藩へ移封のため廃藩し天領となった高山藩【幕末維新写真館】

飛騨高山藩(高山藩)/金森家3万3千石:金森頼時 出羽国上山藩へ移封のため廃藩し天領となった高山藩【幕末...

【藩名】 飛騨高山藩(高山藩) 【説明】 天正14年(1586年)、三木氏や姉小路氏ら旧飛騨国国司の攻略に成功した信長家臣の「金森長近」が飛騨国を与えられて入封する。天正16年(1588年)から高山城の築城を行い、慶長5年(1600年)までには本丸、二の丸を完成させていた。「関ヶ原の戦い」では「徳川家康」率いる東軍につ...
沼津藩/場所・アクセス・地図 水野家5万8千石:水野忠敬 徳川家達の駿河移封により上総菊間藩へ移されて廃藩【幕末維新写真館】

沼津藩/水野家5万8千石:水野忠敬 徳川家達の駿河移封により上総菊間藩へ移されて廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 沼津藩 【説明】 安永6年(1777年)11月6日、水野忠友が三河大浜藩より2万石で転封してきたことによる。第2代藩主「水野忠成」は「徳川家斉」の時代に老中となり、「賄賂政治」を行なった人物として有名である。なお、忠成は文政4年(1821年)に1万石の加増を受け、さらに文政12年(1829年)にも1万石の加増...
井伊谷藩/場所・アクセス・地図 近藤家1万5千石:近藤秀用 一族へ所領分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

井伊谷藩/近藤家1万5千石:近藤秀用 一族へ所領分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 井伊谷藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後、「井伊直政」が戦傷が原因で死去すると、直政の家臣だった「近藤秀用」は「池田輝政」の仲介もあって「徳川家康」の直臣として召し出され、上野国において5000石を与えられた。 その後、「大坂の陣」でも戦功を挙げたため、秀用は慶長19年(1614年)に相...
興国寺藩/場所・アクセス・地図 天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】

興国寺藩/天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 興国寺藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐により、徳川家康が関東に移ると豊臣家三中老の「中村一氏」が駿府城主として駿河14万5000石を領し、興国寺城には家臣の「河毛宗左衛門」が入った。慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」直前に一氏は死去し、後を子の「中村一忠」が継いだ。一忠は東軍に与して戦功を挙げたため、戦...
勝浦藩/場所・アクセス・地図 大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩【幕末維新写真館】

勝浦藩/大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 勝浦藩 【説明】 天和2年(1682年)4月、上総・安房・近江・丹波などに所領を持っていた「植村忠朝」は新たに2000石を加増されて1万1000石を領する大名となり、「勝浦藩」を立藩した。植村氏は「本多忠勝」の寄騎で里見氏(館山城)の牽制などで功績を挙げた譜代大名である。 元禄10年(1697年)2月、忠朝の...
百首藩(造海城)/場所・アクセス・地図 松平家1万500石:松平重則 下野皆川へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

百首藩(造海城)/松平家1万500石:松平重則 下野皆川へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 百首藩(別名:造海城) 【説明】 寛永10年(1633年)4月、「松平重則」が4000石を加増され1万500石を領する大名とし列すると「百首藩」を立藩した。しかし、寛永17年(1640年)、所領を下野国「皆川藩」に移封され「百首藩」は廃藩となった。 「松平定信」の「寛政の改革」では海防の整備が百首にて計画され...
伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】

伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏の存続を許した。主家である長野氏は信長の弟「織田信包」を養子に迎えたため家名存続を許された。 光嘉は「織田信包...