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高田藩/場所・アクセス・地図 松平家3万2千石:松平英親 杵築藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

高田藩/松平家3万2千石:松平英親 杵築藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 高田藩 【説明】 高田藩は寛永9年(1632年)、「松平重直」が摂津国三田藩より3万7千石にて豊前国竜王(大分県宇佐市安心院町)の竜王城跡地に竜王陣屋を構え入封したことに始まる。当初は竜王藩と称していたが、寛永16年(1639年)高田城に藩庁を移したことにより高田藩となった。 2代「英親」は弟の「重長」に3千...
中村藩(土佐藩支藩)/場所・アクセス・地図 山内家3万石:山内豊明 病気による若年寄辞職で将軍徳川綱吉の怒りを買い廃藩【幕末維新写真館】

中村藩(土佐藩支藩)/山内家3万石:山内豊明 病気による若年寄辞職で将軍徳川綱吉の怒りを買い廃藩【幕末維...

【藩名】 中村藩(土佐藩支藩) 【説明】 江戸時代初期から中期にかけて3代33年間存在した藩で、明暦2年(1656年)土佐藩2代藩主「山内忠義」の二男「山内忠直」が幡多郡中村(四万十市)3万石を与えられ立藩した。元禄2年(1689年)3代「山内豊明」は若年寄に累進したが病気を理由に辞職。 これが時の将軍「徳川綱吉」の怒...
鹿野藩/場所・アクセス・地図 池田家1万石:池田政直 播磨国福本へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

鹿野藩/池田家1万石:池田政直 播磨国福本へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 鹿野藩 【説明】 天正10年(1582年)、尼子氏の遺臣「亀井茲矩」が「豊臣秀吉」に1万3500石を与えられ鹿野城主となりこの地を治めた。慶長5年(1600年)、茲矩は「関ヶ原の戦い」にて徳川家康率いる東軍についたため2万4500石を加増され、3万8000石を領する。2代藩主「政矩」はさらに5000石を加え、...
八上藩/場所・アクセス・地図 松平家5万石:松平康重 丹波篠山城へ拠点を移したため廃藩【幕末維新写真館】

八上藩/松平家5万石:松平康重 丹波篠山城へ拠点を移したため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 八上藩 【説明】 八上城は戦国期に織田家重臣「明智光秀」と「波多野秀治」率いる波多野一族との間で攻防戦があったことで有名である。豊臣秀吉の時代になると五奉行を務める「前田玄以」がこの地を拝領した。ほどなく嫡男である「前田茂勝」が当主を務めることになる。 「前田茂勝」は「織田信忠」に仕え、豊臣秀吉のもとで五奉行...
山城長岡藩/永井家3万6千石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】

山城長岡藩/永井家3万6千石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 山城長岡藩 【説明】 山城長岡藩は江戸時代初期、現在の京都府長岡京市を領有した藩で、この地に長岡陣屋が築かれた。寛永10年(1633年)、書院番で上総国・下総国内に8000石を領する旗本の「永井直清」が、旧領地に加え山城国、紀伊国、摂津国内に領地を得て1万2,000石の大名に昇格した。 当初は長岡勝竜寺城に藩...
伏見藩/場所・アクセス・地図 内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩【幕末維新写真館】

伏見藩/内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 伏見藩 【説明】 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は豊臣秀頼への牽制と畿内支配の拠点から、焼失した伏見城の再建に乗り出した。そして慶長8年(1603年)、家康は伏見城にて将軍宣下を受け江戸幕府を開いた。その後、慶長12年(1607年)に駿府城を正式に居城とするまで、家康はこの伏見城を拠点としている。 家康が駿府に移...
佐和山藩/場所・アクセス・地図 井伊家18万石:井伊直継 家康による彦根城築城と移転により廃藩【幕末維新写真館】

佐和山藩/井伊家18万石:井伊直継 家康による彦根城築城と移転により廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 佐和山藩 【説明】 佐和山城は「織田信長」の時代から要衝と見なされ、特に信任の厚かった重臣「丹羽長秀」を城主とした。文禄4年(1595年)に「豊臣秀吉」のもとで五奉行の一人だった「石田三成」が近江水口から移封されて19万4000石で入封した。 三成の治世は善政にて民は豊かになり、「三成に過ぎたるものがふたつあ...
長浜藩/場所・アクセス・地図 内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

長浜藩/内藤家4万石:内藤信正 豊臣氏への抑えとして立藩されたが摂津高槻藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真...

【藩名】 長浜藩 【説明】 長浜は今浜と呼ばれていたが「羽柴秀吉」が「織田信長」から浅井氏の旧領を与えられた際に、信長の一字を取って長浜と改めた。秀吉の後は「柴田勝豊」や「山内一豊」「石田三成」らが城主を治めた。 関ヶ原の戦い後の慶長11年(1606年)、豊臣秀頼の動静を監視するために「内藤信成」が駿河国府中から移封さ...
松坂藩/場所・アクセス・地図 古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】

松坂藩/古田家5万5千石:古田重治 古田氏が浜田藩へ移封のため紀州藩領となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 松坂藩 【説明】 戦国時代、この地には織田信長の次男「織田信雄」が入封しこの地を松ヶ島と改め、松ヶ島城を築城し五層に及ぶ天守と城下町を建設した。信長没後、信長の娘婿「蒲生氏郷」が12万石で入り、松坂城を新たに築城し城下町の建設を行なった。 この地を松坂と命名したのは氏郷である。氏郷が「小田原征伐」の功で会津に...
岐阜藩/場所・アクセス・地図 織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕末維新写真館】

岐阜藩/織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕...

【藩名】 岐阜藩 【説明】 天正20年(1592年)に「織田信長」の嫡孫「織田秀信」が「豊臣秀吉」の計らいによって13万石で岐阜城へ入封した。岐阜の地は信長の時代から天下布武の重要な拠点であったが、本拠地を安土に移すとその重要性も薄れていった。しかし、安土移転後も信長の嫡男「織田信忠」が城主を務めるなど依然織田氏の重要...