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七戸藩(盛岡藩支藩)/南部家1万1千石:南部信民【幕末維新写真館】

七戸藩(盛岡藩支藩)/南部家1万1千石:南部信民 南部藩宗家と共に戊辰戦争を闘ったため減封された七戸藩【...

【藩名】 七戸藩 【説明】 七戸藩は政庁を七戸城(青森県上北郡七戸町)とする盛岡藩の支藩大名である。別名を「盛岡新田藩」と呼ばれている。 「戊辰戦争」においては宗家盛岡藩とともに「奥羽越列藩同盟」に与したことより、明治元年(1868年)(明治元年)1,000石の削減と当時の藩主「南部信民」が隠居することになった。 明治...
彦根城/写真 長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

彦根城:長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

【城名】 彦根城 【彦根城の説明】 彦根藩の幕末時の藩主はあまりにも有名な大老「井伊直弼」である。直弼は兄「直亮」の急死により藩主となり、幕府継嗣問題に積極的に関わり一橋派を排して紀州藩「徳川家茂」の将軍就任に貢献した。 安政5年(1858年)には「大老」に就き、勅許を得ず「日米修好通商条約」に調印し、さらに反開国派(...
郡上八幡城/写真 江戸藩邸の佐幕派が凌霜隊を結成し旧幕府軍として奮戦した郡上藩【お城 幕末写真館】

郡上八幡城:江戸藩邸の佐幕派が凌霜隊を結成し旧幕府軍として奮戦した郡上藩【お城 幕末写真館】

【お城名】 郡上八幡城 【郡上八幡城の説明】 幕末時の郡上藩は青山家が治める領地で2万4千石という小藩であった。戊辰戦争が勃発すると領内は尊皇へと傾き、一方江戸藩邸ではあくまで佐幕派と貫こうと言う一派があった。 ※白虎隊の悲劇 飯盛山に建立する凌霜隊を弔う石碑 江戸家老「朝比奈藤兵衛」は子息「朝比奈茂吉」に一隊を組織さ...
磐城平城/写真 老中安藤信正を排出し奥羽越列藩同盟へ加盟後は新政府軍へ徹底抗戦した平藩【お城 幕末写真館】

磐城平城:老中安藤信正を排出し奥羽越列藩同盟へ加盟後は新政府軍へ徹底抗戦した平藩【お城 幕末写真館】

【城名】 岩城平城 【岩城平城の説明】 磐城地方は戦国時代には「岩城常隆」が統治していた地域だが、豊臣秀吉の北条征伐に参戦しなかったためこの地域の多くの大名が改易となった。その後、徳川幕府は仙台伊達家への抑えとして磐城地方に譜代大名を配置した。 この中の一つが磐城平藩安藤家である。幕末の当主「安藤信正」は井伊直弼が斃れ...
越前高田城/写真 徳川譜代大名榊原氏の居城で上越戦争の官軍拠点となった高田藩【お城 幕末写真館】

越前高田城:徳川譜代大名榊原氏の居城で上越戦争の官軍拠点となった高田藩【お城 幕末写真館】

【城名】 越前高田城(高田藩) 【高田城越前高田城(高田藩)の説明】 越前高田の地には加賀前田家の抑えや、もと上杉領だった越後を安泰させる意味も込めて徳川一族の「松平忠輝」が城主に任命された。しかし、忠輝は徳川一門にもかかわらず所業不届き等により改易となる。 その後高田城主は次々と変わり、幕末の当主は徳川譜代大名の「榊...
久保田城/写真 佐竹氏の居城で幕末では奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍へ寝返った秋田藩【お城 幕末写真館】

久保田城:佐竹氏の居城で幕末では奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍へ寝返った秋田藩【お城 幕末写真...

【城名】 久保田城 【久保田城の説明】 秋田藩は関ヶ原の戦いの2年後に「佐竹義宣」が徳川家康から突如国替え(常陸国より)を命じられたことに始まる。義宣の父「佐竹義重」は徳川家康とは昵懇の仲であったが、嫡男で当主の義宣に采配の一切を任せた。 幕末の秋田藩では「平田篤胤」の勤皇思想(尊皇思想)が根付いており、この思想の系統...
三春城:棚倉藩の落城後 河野広中の運動により新政府軍へと寝返った三春藩【お城 幕末写真館】

三春城:棚倉藩の落城後 河野広中の運動により新政府軍へと寝返った三春藩【お城 幕末写真館】

【城名】 三春城(舞鶴城) 【三春城(舞鶴城)の説明】 三春城は三春藩の藩庁があった城で、幕末時は「秋田氏」が5万5千石にて統治していた。幕末の戊辰戦争(奥羽戦争)では当初「奥羽越列藩同盟」に加わっていたが、隣藩の「棚倉藩(棚倉城)」が落城すると「河野広中」の尽力により奥羽越列藩同盟から脱退しひそかに「板垣退助」率いる...
請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 請西藩陣屋(真武根陣屋) 【史跡の説明】 請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任した時に、時の当主「林忠英」が小姓として出仕したことに発する家である。忠英は将軍の寵臣となり「側用人」や「若年寄」などを歴任し徐々に立身...
館城/写真 松前藩により築城されて旧幕府軍によって攻略された館城【お城 幕末写真館】

館城:松前藩により築城され旧幕府軍によって攻略された館城【お城 幕末写真館】

【城名】 館城 【館城の説明】 館城は明治元年(1968年)に旧幕府軍の襲来に備えるため、松前藩が築いた城である。従来の本城である松前城(福山城)は海から近く、軍艦からの攻撃にさらされる危険が大きいこと、内陸部を開拓して海に依存しない藩政を目論んだとも言われている。 同年、五稜郭を攻略した旧幕府軍は蝦夷地を制圧するため...
宮古湾海戦の碑/写真 旧幕府海軍の回天丸が甲鉄艦を奪取しようと挑んだアボルダージュ作戦【史跡 幕末写真館】

宮古湾海戦の碑:旧幕府海軍の回天丸が甲鉄艦を奪取しようと挑んだアボルダージュ作戦【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 宮古湾海戦の碑 【宮古湾海戦の碑の説明】 宮古湾海戦は、箱館戦争における海戦のひとつで現在の岩手県宮古市の宮古湾沖で発生した。開陽丸を江差沖の座礁で失った旧幕府軍は、明治2年(1869年)5月6日、劣っている海軍力の回復のため宮古湾に停泊している新政府軍最強の軍艦「甲鉄艦」を奪取するため、斬り込み攻撃を実行...