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会津藩

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笠間藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家8万:場所・アクセス・地図 牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り会津藩攻撃にも加わった笠間藩【幕末維新写真館】

笠間藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家8万:牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り会津藩攻撃にも加わった笠間藩【幕...

【藩名】 笠間藩(越後国長岡藩支藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年「松平康重」が武蔵騎西藩から3万石で入封して笠間藩を立藩した。慶長13年(1608年)に康重が丹波篠山藩へ移封されると、「小笠原吉次」が下総佐倉藩から入封した。しかし小笠原家は徳川家から付属されている与力の直属家臣化を企てたとして...
母成峠古戦場跡/写真 板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ母成峠の戦い【史跡 幕末写真館】

母成峠古戦場跡:板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ母成峠の戦い【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 母成峠古戦場跡 【母成峠古戦場跡の説明】 慶応4年(1868年)8月21日、板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ際に発生した最初の戦いが「母成峠の戦い」である。江戸城を無血開城させた新政府軍は矛先を東北諸藩へ向け、特に因縁のある会津藩への攻撃は最大の目標の一つであった。 会津若松城より北東に位置する...
猪苗代城:戊辰戦争中は戦うことなく焼失した会津藩の猪苗代城【お城 幕末写真館】

猪苗代城:戊辰戦争中は戦うことなく焼失した会津藩の猪苗代城【お城 幕末写真館】

【城名】 猪苗代城 【猪苗代城の説明】 猪苗代城は福島県耶麻郡猪苗代町にあった平山城で別名「亀ヶ城」と呼ばれている。 寛永20年(1643年)に「保科正之」が会津藩主になると城代を配置するようになった。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際は「母成峠の戦い」で新政府軍(薩摩藩・長州藩など)が会津藩や「新撰組」などを破っ...
黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩【幕末維新写真館】

黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため...

【藩名】 黒川藩(郡山藩支藩) 【説明】 第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めた。黒川藩は歴代藩主のほとんどが「江戸定府」であったため参勤交代がなかった。そんな中、文久3年(1863年)に「柳沢光昭」が初めて御国入りしている。 明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、会津藩の...
大田原藩/場所・アクセス・地図 大田原家1万1千石:大田原一清【幕末維新写真館】

大田原藩/大田原家1万1千石:大田原一清 新政府軍についたため会津藩や旧幕府軍から攻撃を受けた大田原藩【...

【藩名】 大田原藩 【説明】 第3代大田原藩主「大田原高清」は弟の「為清」に1000石を分知し、表高は1万1000石となった。大田原氏は小藩ながら外様大名として江戸期・幕末・明治時代まで存続した。幕末の嘉永3年(1850年)、第12代藩主「大田原広清」は藩校「時習館」を開くなど開明的であった。 最後の藩主「大田原一清」...
沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知【幕末維新写真館】

沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知 新政府軍に恭順し三国峠の戦いで会津藩と交戦した沼田藩【幕末維新写真館...

【藩名】 沼田藩 【説明】 第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居したが、依然として藩への影響力を持ち、翌年に勃発した「戊辰戦争」では桑名藩や会津藩と姻戚関係にありながら新政府...
会津藩/松平家23万石:松平容保【幕末維新写真館】

会津藩/松平家23万石:松平容保 戊辰戦争最大の激戦地で白虎隊の悲劇が起こった会津藩【幕末維新写真館】

【藩名】 会津藩 【説明】 慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発する。会津藩は、桑名藩や幕府軍とともに新政府軍と戦ったが敗北した。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の奥羽戦線において、会津藩は「奥羽越列藩同盟」の支援を受け、また、庄内藩と「会庄同盟」を結ぶなどして新政府軍に抵抗した...