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三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩【幕末維新写真館】

三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 三河水野藩 【説明】 水野勝成の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に1万石を与えられ、大名となった。 しかし、慶長14年(1609年)9月、遠州浜松藩5万石の藩主「松平忠頼(忠胤の従弟)」を招いて茶会を開いていたとき、忠胤の与力...
深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末維新写真館】

深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末...

【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増された。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領する大身の旗本となっていた。 寛永元年(1624年)、重昌の父である「板倉勝重」が死去すると、兄の「板倉重宗」...
三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 三河中島藩 【説明】 「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩1万石が立藩した。重矩は万治3年(1660年)11月に大坂定番に任じられて功を挙げたことから、1万石を加増された。 寛文5年(1665年)12月には老中に栄進し、翌年には上野国や武蔵国内などにおいて2万石を加増された。寛文8年...
重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【幕末維新写真館】

重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【...

【藩名】 重原藩 【説明】 重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替えという珍しい処罰を課せられた。 福島藩主「板倉勝尚」は「戊辰戦争」で「奥羽越列藩同盟」に加盟し新政府に反抗した...
板橋藩/大給松平家1万石:松平成重 三河西尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

板橋藩/大給松平家1万石:松平成重 三河西尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】 板橋藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城攻防戦」で「松平近正」は戦死した。家督は嫡子の「松平一生」が継ぎ、父の武功を賞されて5千石を加増され1万石の大名として諸侯に列した。そして板橋藩を立藩した。 「松平一生」の死後はその子「松平成重」が継ぐ。成重は慶長19年(1614年)の...