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一本木関門:元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

一本木関門:元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】
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【史跡名】
一本木関門

【一本木関門の説明】
明治2年(1869年)4月、新政府軍が蝦夷地へ上陸し各地から函館を目指して進軍。土方歳三は「二股口」の守備につき、打ち寄せる敵軍をことごとく撃退し死守していた。しかし、木古内での敗戦が伝えられると退路を断たれる恐れから二俣口を撤退し、五稜郭へと退いた。

一本木関門/写真 元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

新政府軍は海岸線からの攻撃に軍艦を投入し、松前城を奪還、「木古内の戦い」「矢不来の戦い」も制して徐々に函館へと迫っていた。一方、海でも海戦が行われており、旧幕府軍の「回天丸」「蟠竜丸」と新政府軍の「甲鉄艦」「春日丸」「長陽丸」「丁卯丸」「陽春丸」「延年丸」らが交戦し圧倒的な海軍力の差で新政府軍が制海権を制した。

一本木関門/写真 元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

こうして函館包囲網が作られていく中、籠城戦を嫌った土方は新撰組の生き残りや陸軍兵約50名を率いて函館市中へ迫る新政府軍を「一本木関門」にて防いだ。獅子奮迅の戦いも銃器に優れた新政府軍に圧倒され土方は腹部に銃創を追い、ついに力尽きた。

一本木関門/写真 元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

一本木関門には「土方歳三最期の地碑」が建立されており、一本木関門も簡易的に復元されている。






【一本木関門・場所・アクセス】
北海道函館市若松町33-6

【一本木関門地図】



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