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千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館】

千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館】
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【陣屋名】
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)

【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市の千代台公園にあった幕末時の陣屋(砲台)跡である。元々徳川幕府が北方警備強化のために築いたものを榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)が整備し五稜郭防衛のために整備した。

千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)/写真 函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館】

明治2年(1869年)、新政府軍が津軽海峡を渡り蝦夷地へ侵攻してくると、旧幕府軍による懸命の防戦もむなしく戦闘は悪化し各隊は函館周辺へと追いやられた。同年、5月15日に「弁天台場」が降伏し五稜郭から撤退の命令が下されるも中島三郎助はこれを拒否して戦い続けた。

※中島三郎助親子終焉の地
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)/写真 函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館】

最後は五稜郭と千代ヶ岡台場だけが残り、新政府軍の猛攻を受け、約1時間余りの戦闘で「千代ヶ岡台場」は陥落した。この時、多くの旧幕府軍が思い思いに撤退する中、中島親子だけは退かずこの場で戦死した。

※中島三郎助
中島三郎助

その後、榎本武揚は新政府軍に降伏し函館戦争は終結し、同時に戊辰戦争も終わりを告げた。幕末から明治にわたり続いた薩摩藩・長州藩・土佐藩を中心とした新政府軍と、徳川家を中心とした旧幕府軍との戦いの終焉である。

※中島三郎助親子(恒太郎・英次郎)
中島三郎助親子(恒太郎・英次郎)

中島親子が討死した辺り一帯は「中島町」という地名として残されている。なお、現在の千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)跡は千代台公園として整備されている。

千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)/写真 函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館】






【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)・場所・アクセス】
〒040-0013 北海道函館市千代台町22

【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)地図】



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