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請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

請西藩陣屋(真武根陣屋):藩主の林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 請西藩陣屋(真武根陣屋) 【史跡の説明】 請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任した時に、時の当主「林忠英」が小姓として出仕したことに発する家である。忠英は将軍の寵臣となり「側用人」や「若年寄」などを歴任し徐々に立身...
練兵館跡/写真 江戸三大道場の一つ神道無念流 斎藤弥九郎の練兵館【史跡 幕末維新写真館】

練兵館跡:江戸三大道場の一つ神道無念流 斎藤弥九郎の練兵館【史跡 幕末維新写真館】

【史跡名】 練兵館跡 【練兵館跡の説明】 幕末の江戸三大道場の一つ「練兵館(れんぺいかん)」は、「玄武館」「士学館」と並んで最も栄えた剣術道場であった。創始者は「神道無念流」を完成させた「斎藤弥九郎」という。 ちなみに、江戸の三大道場と言えば、「技の千葉」「位の桃井」「力の斎藤」と称され、それぞれ内訳は以下の通りである...
宮古湾海戦の碑/写真 旧幕府海軍の回天丸が甲鉄艦を奪取しようと挑んだアボルダージュ作戦【史跡 幕末写真館】

宮古湾海戦の碑:旧幕府海軍の回天丸が甲鉄艦を奪取しようと挑んだアボルダージュ作戦【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 宮古湾海戦の碑 【宮古湾海戦の碑の説明】 宮古湾海戦は、箱館戦争における海戦のひとつで現在の岩手県宮古市の宮古湾沖で発生した。開陽丸を江差沖の座礁で失った旧幕府軍は、明治2年(1869年)5月6日、劣っている海軍力の回復のため宮古湾に停泊している新政府軍最強の軍艦「甲鉄艦」を奪取するため、斬り込み攻撃を実行...
権現台場跡/写真 四稜郭と合わせて五稜郭防衛のために急造された権現台場【史跡 幕末写真館】

権現台場跡:四稜郭と合わせて五稜郭防衛のために急造された権現台場【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 権現台場跡 【権現台場跡の説明】 権現台場跡がある場所は元々五稜郭の鬼門に位置し、徳川幕府や函館商人らが造営費を献納して慶応元年(1865年)に函館東照宮が建立された。明治2年(1869年)4月、函館戦争が勃発すると旧幕府軍は各地に砲台や陣地を構築、その中の一つが「権現台場」であった。 五稜郭を防衛する役目...
三稜郭跡/写真 五稜郭・四稜郭の他にも三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 幕末写真館】

伝三稜郭跡:五稜郭・四稜郭の他にも三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 伝三稜郭跡 【伝三稜郭跡の説明】 戊辰戦争最後の激戦、函館戦争では榎本武揚率いる旧幕府軍がいくつもの陣屋や砲台を急造した。千代ヶ岡台場や弁天台場、四稜郭などが代表的な建造物として知られている。 そんな中、新たに「三稜郭」や「七稜郭」もあったのではという研究結果が報告されている。あくまで現存する資料をもとに検...
一本木関門/写真 元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

一本木関門:元新撰組副長にして蝦夷共和国では陸軍奉行並 土方歳三最後の地碑【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 一本木関門 【一本木関門の説明】 明治2年(1869年)4月、新政府軍が蝦夷地へ上陸し各地から函館を目指して進軍。土方歳三は「二股口」の守備につき、打ち寄せる敵軍をことごとく撃退し死守していた。しかし、木古内での敗戦が伝えられると退路を断たれる恐れから二俣口を撤退し、五稜郭へと退いた。 新政府軍は海岸線から...
母成峠古戦場跡/写真 板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ母成峠の戦い【史跡 幕末写真館】

母成峠古戦場跡:板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ母成峠の戦い【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 母成峠古戦場跡 【母成峠古戦場跡の説明】 慶応4年(1868年)8月21日、板垣退助率いる新政府軍が会津藩領へ攻め込んだ際に発生した最初の戦いが「母成峠の戦い」である。江戸城を無血開城させた新政府軍は矛先を東北諸藩へ向け、特に因縁のある会津藩への攻撃は最大の目標の一つであった。 会津若松城より北東に位置する...
八木邸跡:新撰組発祥の地近藤・土方らが過ごした新撰組屯所跡【史跡 幕末写真館】

八木邸跡:新撰組発祥の地近藤・土方らが過ごした新撰組屯所跡【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 八木邸跡 【八木邸跡の説明】 八木邸は京都市中京区壬生にあった郷士の邸宅で新選組が西本願寺へ移るまでの間、屯所として使われた。結成当時の新撰組では局長が「近藤勇」「芹沢鴨」の2名体制で各派閥があった。副長も「土方歳三」「新見錦」の2名体制だったとされる。 この両派は近藤一派が「芹沢鴨」を暗殺することで近藤・...
お台場/写真 ペリー来航で海上防衛のために構築された品川沖の砲台お台場【史跡 幕末写真館】

お台場:ペリー来航で海上防衛のために構築された品川沖の砲台(第三台場・第六台場)【史跡 幕末写真館】

【史跡名】 お台場(第三台場・第六台場) 【お台場(第三台場・第六台場)の説明】 お台場は嘉永6年(1853年)にペリー艦隊が来航した際に、江戸幕府が海上防衛のため建設した砲台である。当時品川沖への砲台建設の提案書を出していた韮山代官「江川太郎左衛門」により建設された。 計画では洋式砲台を11基から12基建設する予定だ...
中島三郎助親子(恒太郎・英次郎)

千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争末期最後まで降伏しなかった中島三郎助親子最後の地【史跡 幕末写真館...

【陣屋名】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場) 【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市の千代台公園にあった幕末時の陣屋(砲台)跡である。元々徳川幕府が北方警備強化のために築いたものを榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)が整備し五稜郭防衛のために整備した。 明治2年(1869年)、新政府軍が津軽海峡...