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彦根城:長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

彦根城:長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】
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【城名】
彦根城

【彦根城の説明】
彦根藩の幕末時の藩主はあまりにも有名な大老「井伊直弼」である。直弼は兄「直亮」の急死により藩主となり、幕府継嗣問題に積極的に関わり一橋派を排して紀州藩「徳川家茂」の将軍就任に貢献した。

安政5年(1858年)には「大老」に就き、勅許を得ず「日米修好通商条約」に調印し、さらに反開国派(攘夷派)及び一橋派を次々と処罰していった。これが有名な「安政の大獄」である。

彦根城/写真 長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

この処罰には水戸藩主「徳川斉昭」や越前の「松平春嶽」、土佐の「山内容堂」などの大名も多く含まれていた。この強硬姿勢に反発した水戸の浪士を中心とした一派に、万延元年(1860年)「桜田門外の変」で暗殺された。なお、井伊家を継いだ「井伊直憲」は、直弼が白昼堂々と首を討たれた罪で、文久2年(1862年)に10万石を減封された。

元治元年(1864年)の「禁門の変」で戦功をあげ、旧領のうち3万石を回復する。また「天誅組の変」「天狗党の乱」「長州征討」にも参戦し徳川幕府の軍事活動に協力した。しかし長州藩との戦い「四境戦争」では旧式の軍制や装備のため各地で大敗を喫した。

彦根城/写真 長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

様々な幕藩体制に協力していたにも関わらず中々報われない現状に、大政奉還後はついに幕府から離れ新政権側へと鞍替えした。翌慶応4年(1868年)の「鳥羽伏見の戦い」では、彦根藩兵主力が薩長の後方支援にあたり大垣への出兵にも先鋒となって進軍した。

鳥羽伏見の戦い後も一貫して新政府軍に加わり、小山や本宮の戦闘や各地を転戦し元新撰組局長の「近藤勇」の捕縛にもあたった。戊辰戦争後はこれらの功績が認められ賞典禄2万石を朝廷から拝領している。

彦根城/写真 長州征伐までは佐幕派を通したが鳥羽伏見の戦い以降新政府軍へ転じた彦根藩【お城 幕末写真館】

明治4年(1871年)、廃藩置県により彦根県となり、続いて滋賀県へ編入された。明治17年(1884年)には井伊家は伯爵となり華族に列した。彦根城は明治の「廃城令」からも逃れた珍しい城であり、日本五大国宝(他に松本城・犬山城・姫路城、松江城がある)の一つに数えられている。






【彦根城・所在地・アクセス】
〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1−1

【彦根城マップ】



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