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郡上八幡城:江戸藩邸の佐幕派が凌霜隊を結成し旧幕府軍として奮戦した郡上藩【お城 幕末写真館】

郡上八幡城:江戸藩邸の佐幕派が凌霜隊を結成し旧幕府軍として奮戦した郡上藩【お城 幕末写真館】
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【お城名】
郡上八幡城

【郡上八幡城の説明】
幕末時の郡上藩は青山家が治める領地で2万4千石という小藩であった。戊辰戦争が勃発すると領内は尊皇へと傾き、一方江戸藩邸ではあくまで佐幕派と貫こうと言う一派があった。

※白虎隊の悲劇 飯盛山に建立する凌霜隊を弔う石碑
郡上八幡城/写真 江戸藩邸の佐幕派が凌霜隊を結成し旧幕府軍として奮戦した郡上藩【お城 幕末写真館】

江戸家老「朝比奈藤兵衛」は子息「朝比奈茂吉」に一隊を組織させて「凌霜隊」と名乗らせ、旧幕府軍側に付かせるため脱藩させた。凌霜隊は一隊が約50名からなる隊で、江戸を脱出し船橋より江戸川を上り各地を転戦した。

小山や宇都宮城の戦い、日光街道から塩原を抜けて会津若松へと辿り着いた。この間、数名の隊士が戦死している。会津藩の籠城戦にも参戦し、会津藩の降伏とともに「凌霜隊」も解散となり、それぞれ国元へ送られた。

※戊辰戦争最大の激戦会津若松城
戊辰戦争最大の激戦会津若松城

旧凌霜隊の隊員たちは国元で禁固刑や入牢を命じられたが、明治3年にそれぞれ許され自由の身となった。






【郡上八幡城・アクセス・場所】
〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659

【郡上八幡城地図】



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