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仙台城(青葉城):戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた仙台藩【お城 幕末写真館】

仙台城(青葉城):戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた仙台藩【お城 幕末写真館】
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【城名】
仙台城(青葉城)

【仙台城(青葉城)の説明】
幕末の仙台藩は江戸時代の長い泰平に慣れてしまっていた感があり、情報の収集や諜報機関などがあまり機能していなかった。「鳥羽伏見の戦い」が勃発しても徳川幕府の勝利を疑わず特に何の反応も示さなかった。

大藩だけに貧しい下級武士の台頭もなく、長年のしきたり通り大身の重臣らによって藩政が取り行われていた。仙台藩が本格的な幕末期の渦中に身を投じたのは、薩摩・長州・土佐・肥前らが中心となる新政府軍が江戸を無血開城し、その波紋が会津藩へ及んだ時である。

仙台城(青葉城)/写真 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた仙台藩【お城 幕末写真館】

新政府軍は江戸城の次ぎの攻撃目標を会津藩、庄内藩に定めたのである。これに対し、会津藩は恭順の意を表し度々新政府軍へ訴え出たが一切認められず無理難題を吹っ掛けられていた。その窮乏を見て、奥羽諸藩は会津藩への同情の意を表し「奥羽越列藩同盟」を締結し、団結して新政府軍に対処することを決めた。

この同盟は単なる同盟ではなく、武力も辞さない軍事同盟であった。この同盟の盟主に封じられたのが奥羽一の大藩「仙台藩」であった。会津藩の恭順をあくまで認めない新政府軍に対し、奥羽越列藩同盟軍はついに奥羽鎮撫総督府参謀の「世良修蔵」を斬ることで決戦の意を固めた。

奥羽の関門とも言うべき白河小峰城の攻防戦に端を発し、奥羽諸藩の軍が集結した「白河小峰城」を「伊地知正治(薩摩)」を中心とした新政府軍が攻撃しこれを打ち破った。

その後、棚倉藩が降伏し、三春藩は裏切り、次いで二本松藩の落城、そして戦端は会津戦争へと進んでいく。仙台藩は各地へ救援部隊を送ったが装備が旧式の上、兵の指揮が一向にあがらず全く役に立たなかったと言われている。

仙台城(青葉城)/写真 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた仙台藩【お城 幕末写真館】

これを見て仙台藩では急遽西洋式部隊を結成し、フランス式訓練を施した「額兵隊」「見国隊」などに出陣の準備を命じた。しかし、これら西洋式軍隊が出陣する前に、会津藩の無条件降伏を機に仙台藩は降伏。額兵隊や見国隊の出る幕はなかった。

仙台藩が降伏を決めるのと前後して、仙台湾には旧幕府海軍を率いた「榎本武揚」の艦隊が集結しており、奥羽各地で転戦していた旧幕府兵を収容し、一路蝦夷を目指して北上した。仙台藩は正式に降伏を認められ藩主の謹慎や新政府軍への支援を命じられるにとどまった。

仙台城(青葉城)/写真 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた仙台藩【お城 幕末写真館】

結局、仙台青葉城はその築城から一度も攻撃にさらされることなく、明治時代を迎えた。現在の仙台城跡は「青葉山公園」として整備され、二ノ丸や三ノ丸跡には大学のキャンパスや博物館が建てられている。

また、石垣や土塁が残る他「支倉常長像」や天守台のあった本丸跡には「伊達政宗騎馬像」が建っている。






【仙台城(青葉城)・所在地・アクセス】
〒980-0862 宮城県仙台市青葉区天守台川内1

【仙台城(青葉城)マップ】



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