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天童城(天童藩陣屋):いち早く新政府軍に従ったことで不運を招いた吉田大八【お城 幕末写真館】

天童城(天童藩陣屋):いち早く新政府軍に従ったことで不運を招いた吉田大八【お城 幕末写真館】
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【城名】
天童城(天童藩陣屋)

【天童城(天童藩陣屋)の説明】
天童城は戦国時代の初頭に最上氏の一族「里見氏」が初代とされており、今の天童市に拠点を構えた。以降、天童氏を名乗ることになった。「最上義光」が本家の当主になると天童城は攻撃にさらされ、ついに落城し最上領に組み込まれた。

落城後は廃城となっていたが、天保元年(1830年)織田信雄の末裔である織田氏が天童城へ入封し明治維新まで続いた。幕末になると天童藩はいち早く奥羽征討軍に従い、新政府軍に恭順した。そして、奥羽征討軍参謀の「大山綱良(薩摩藩)」「世良修蔵(長州藩)」らの命を受け、庄内藩を攻撃した。

この攻撃は重臣の「吉田大八」の指揮のもと実施されたが、精強な軍を誇る「庄内藩」の逆襲にあい天童城は落城してしまう。間もなく「奥羽越列藩同盟」が結ばれ天童藩も立地的立場からこれに参加せざるを得なかった。

この時、先の庄内藩への攻撃の責任を取り「吉田大八」は切腹して果てた。苦しまぎれに「奥羽越列藩同盟」に加わった天童藩だが、形勢がかわるといち早く新政府軍に恭順・降伏している。

※天童藩陣屋跡
天童城(天童藩陣屋):いち早く新政府軍に従ったことで不運を招いた吉田大八【お城 幕末写真館】

※幕末時に不運の重臣「吉田大八」像
天童城(天童藩陣屋)/写真 いち早く新政府軍に従ったことで不運を招いた吉田大八【お城 幕末写真館】

こうして織田信長の末裔織田氏は幕末の動乱を生き抜くことが出来た。なお、天童藩の石高は2万石であった。現在の天童城跡(天童陣屋)は城跡も陣屋の跡も残っておらず「天童公園」として親しまれている。

【天童城(天童藩陣屋)アクセス・場所・地図】
〒994-0000 山形県天童市天童字城山






【天童城(天童藩陣屋)地図】



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