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白河小峰城:新政府軍と奥羽越列藩同盟軍で激しい戦闘が行われた白河小峰城【お城 幕末写真館】

白河小峰城:新政府軍と奥羽越列藩同盟軍で激しい戦闘が行われた白河小峰城【お城 幕末写真館】

【城名】
白河小峰城

【白河小峰城の説明】
幕末時の「白河小峰城」は天領となっており、二本松藩が城を管理し預かっていた。慶応4年(1868年)6月、新政府軍は奥羽の関門と言われた白河口を突破しようと軍を進めた。

一方、これを迎え撃つ「奥羽越列藩同盟軍」は白河城に「仙台藩」「会津藩」「旧幕府歩兵隊」「米沢藩」「棚倉藩」などの兵2000を配置した。薩摩藩の「伊地知正治」を中心に構成された新政府軍は薩摩・長州・大垣・忍藩などの兵約700であった。

白河小峰城/写真 新政府軍と奥羽越列藩同盟軍で激しい戦闘が行われた白河小峰城【お城 幕末写真館】

伊地知は兵を3つに分けて3方から攻め寄せ、伊地知の囮部隊を主力と勘違いした白河口総督「西郷頼母(会津藩)」は戦力を一ヶ所に集中。この間、2方から手薄になった白河城を奪取することに成功する。

奥羽越列藩同盟軍は副総督の「横山主税」や多くの幹部を失い、その死傷者数は700名と言われ、一方新政府軍の死傷者は20名程であった。新政府軍の圧勝と言えるだろう。

白河小峰城/写真 新政府軍と奥羽越列藩同盟軍で激しい戦闘が行われた白河小峰城【お城 幕末写真館】

白河小峰城を失った奥羽諸藩はこれを奪還するため、再度兵力を集結させ約2000の兵が集まった。この兵力で3度の攻撃を繰り返すも銃器による戦力の差は大きく、死傷者が続出する中、結局城の奪還はかなわなかった。

この戦闘の敗北が今後の奥羽戦争へ大きな影響を与えたことは間違いないであろう。






【白河小峰城・場所・アクセス】
〒961-0074 福島県白河市郭内1

【白河小峰城地図】



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