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二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】

二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】
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【城名】
二本松城

【二本松城の説明】
寛永20年(1643年)、加藤嘉明の子「明成」が改易となり、本家と同様に明利の子「明勝」も二本松を改易となった。代わって白河小峰城より丹羽長秀の孫「光重」が10万700石で二本松に入城した。光重は二本松藩の藩庁としての偉容を備えるため城の大改修を行った。

二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】

この際に、本丸に石垣が積まれ、3重の天守が築かれた。以後、明治維新まで丹羽氏の居城となった。慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際し「二本松藩」は奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦った。

二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】

そして、7月29、二本松藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつかれ、新政府軍が二本松城下に殺到し、僅か一日の戦闘にて落城した。手薄になった攻城戦においては「二本松少年隊」と呼ばれる少年兵も動員され、多くの悲劇を生んだ。

二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】

二本松少年隊は隊長の「木村銃太郎」に率いられて奮戦したが多くの少年兵が被弾、負傷し「銃太郎」自身も副隊長「二階堂衛守」の介錯により果てている。この攻城戦において城の建物の多くが焼失した。

藩主の丹羽長国は米沢に逃亡し、9月に降伏。石高が半減されたが二本松藩は存続した。しかし、明治5年(1872年)になると、廃城令により残る建物も全て破却された。現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、石垣と再建された箕輪門がある。

※写真は二本松城と幕末時に多くの悲劇を生んだ二本松少年隊碑
二本松城:戊辰戦争中二本松少年隊の悲劇で知られる二本松城【お城 幕末写真館】

山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築された。復元された箕輪門近くには「二本松少年隊群像」がある。






【二本松城・場所・アクセス】
福島県二本松市郭内3

【二本松城地図】



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