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佐賀城:鍋島閑叟が幕末最新の軍備を整備し大隈重信・江藤新平を輩出した肥前藩 佐賀城【お城 幕末写真館】

佐賀城:鍋島閑叟が幕末最新の軍備を整備し大隈重信・江藤新平を輩出した肥前藩 佐賀城【お城 幕末写真館】
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【城名】
佐賀城

【佐賀城の説明】
江戸時代の肥前藩(佐賀藩)は一度の国替えもなく鍋島氏が幕末までこの地を治めた。幕末に勃発した戊辰戦争では早くから近代兵器を採り入れた肥前兵は各地で旧幕府軍と戦火を交えた。

佐賀城:鍋島閑叟が幕末最新の軍備を整備し大隈重信・江藤新平を輩出した肥前藩 佐賀城【お城 幕末写真館】

幕府から正式に当主として認められた鍋島直茂と勝茂親子は佐賀城の拡張を行い、小さいながらも天守も建てられた。しかし、度重なる火災により天守や天守御殿は消失してしまう。

佐賀城:鍋島閑叟が幕末最新の軍備を整備し大隈重信・江藤新平を輩出した肥前藩 佐賀城【お城 幕末写真館】

新政府軍の呼称「薩長土肥」の「肥」は佐賀藩のことである。再びこの佐賀城が表舞台に登場するのは明治維新後に持ち上がった政府内での「征韓論」に敗れた江藤新平が佐賀の乱を起こした時である。この佐賀の乱は薩摩の西郷や土佐の板垣らと共同で立ち上がるつもりでいたようだが、この時は薩摩や土佐は立ち上がらなかった。

※戊辰戦争で威力を発揮したアームストロング砲
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完全に孤立した「江藤新平」は初戦こそ奮闘したもののあえなく政府軍に敗れてしまう。その後薩摩や土佐へ逃亡を続けたがついに捕縛され、佐賀に設置された臨時裁判にて大久保利通から梟首に処せられた。現在の佐賀城には「本丸御殿(本丸歴史観)」「天守台」「鯱の門」などが残されている。なお、佐賀城は「日本100名城89番」に選定されている。

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【佐賀城・場所・アクセス】
佐賀県佐賀市城内2

【佐賀城地図】



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