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会津若松城:戊辰戦争では新政府軍と戦火を交え白虎隊が悲劇の自刃 会津若松城【お城 幕末写真館】

会津若松城:戊辰戦争では新政府軍と戦火を交え白虎隊が悲劇の自刃 会津若松城【お城 幕末写真館】
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【城名】
会津若松城

【会津若松城の説明】
加藤嘉明亡き後の加藤家ではお家騒動が絶えずついに転封が決まり、徳川二代将軍秀忠の庶子「保科正之」が会津23万石で入封し、幕末期までの長い時代を保科家(その後松平性に改名)が治めることになる。

会津若松城:戊辰戦争では新政府軍と戦火を交え白虎隊が悲劇の自刃 会津若松城【お城 幕末写真館】

幕末時には各地で新政府軍と旧幕府軍との間で戦が起こり、これを「戊辰戦争」と呼ぶ。鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、上野彰義隊の戦い、旧幕府脱走軍による宇都宮の戦い、長岡の戦いを経てついに戦場は会津城下にまで迫ってきた。会津藩は各地へ正規軍を派遣しており城にはわずかな老兵と若い兵しか残っていなかった。

急襲を受けた会津藩は圧倒的な軍事力を誇る新政府軍に各地で押されまくり、ついに籠城戦へと戦は移っていった。会津藩はよく善戦したが全国から集まった新政府軍に幾重にも囲まれ、もはやこれまでと開城・降伏するすることになる。なお、この戦の中もっとも悲劇的な出来ごとと言われ、後世にまで名を残した「白虎隊」の逸話が残っている。16歳~18歳からなる若い藩士達は燃え盛る城下町の火災を見て城が落ちたと勘違いし、見事に自刃したのであった。

会津若松城:戊辰戦争では新政府軍と戦火を交え白虎隊が悲劇の自刃 会津若松城【お城 幕末写真館】

この悲劇は奇跡的に自刃から生還した「飯沼貞吉」の後年の話によるところが大きい。戊辰戦争後は一切この飯盛山の悲劇に関する話をしなかったという。白虎隊の自刃から遅れること数十年、貞吉は仲間が眠る「飯盛山」で共に埋葬され現在に至る。

今も会津城下に近い「飯盛山」には白虎隊士の墓が建てられ多くの人々が訪れている。一方会津若松城は戊辰戦争で激しい攻撃を受けたため、明治初頭に取り壊されたが昭和期に入り「復元天守」として再建された。現在、会津若松城は「日本100名城12番」に選定されている。

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【会津若松城・場所・アクセス】
〒965-0873 福島県会津若松市追手町1−1

【会津若松城地図】



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