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黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩【幕末維新写真館】

【藩名】
黒川藩(郡山藩支藩)

【説明】
第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めた。黒川藩は歴代藩主のほとんどが「江戸定府」であったため参勤交代がなかった。そんな中、文久3年(1863年)に「柳沢光昭」が初めて御国入りしている。

明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、会津藩の申し入れに従って「奥羽越列藩同盟」に加わり家臣を送ったが、消極的な立場に留まる。表だって新政府軍に抵抗しなかったこともあり無事に幕末を乗り切った。翌年、最後の藩主となった「柳沢光邦(光昭の養子)」が「黒川藩知事」となる。

そして明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」により黒川藩は廃されて黒川県となり、同年11月には新潟県に併呑された。

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