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本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
本庄藩

【説明】
「小笠原信嶺」が本庄城の新城主として当地を治めたが、入城してから8年目の慶長3年(1598年)に死去し、その家督を継いだ「小笠原信之」が本庄藩初代藩主となった。

信之は徳川四天王の筆頭「酒井忠次」の三男であり、家康の命によって信嶺の養嗣子となっていた。慶長17年(1612年)、信之は下総国古河藩2万石に加増移封され、ここに本庄藩は廃藩となり、本庄城も廃城となった。残された城下町は、中山道の宿場町として大きく利用されることとなった。

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