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梁川藩/松前家9千石:松前章広 幕末前に蝦夷松前へ再封となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
梁川藩

【説明】
蝦夷地は度々幕府の管轄する領地となり梁川に転封された松前氏は、まず財政難に直面した。蝦夷においては商場知行という形で知行地を家臣に与えていたが、梁川では石高制度に切り替える必要があり、その収入も家臣団を賄えないほどに激減した。松前氏は財政規模に合わせて240名余りの家臣を除籍し、梁川に連れてくることができた家臣は111名であった。

松前氏が梁川で積極的に治世を行った記録は残されていない。それは藩政の方針が倹約、粗食を常とし、領民と事を構えないことを第一としたためであり、松前氏はひたすら幕府や公家に蝦夷地への復帰を働きかけていた。その努力が実ったのは移封から15年後の文政4年(1821年)であった。

ついに国替えの沙汰が下り、梁川藩は松前氏に蝦夷地を返還されたため再び廃藩となった。その後、梁川は再び幕府の管理地となるが、安政2年(1855年)には松前氏の飛地領となり、明治4年に福島県に属するまで、館藩(松前藩)、ついで館県の一部とされた。

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