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苗木藩/遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】

苗木藩/遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】
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【藩名】
苗木藩

【説明】
苗木藩の藩祖は「遠山友政」である。友政は美濃の豪族で、父の友忠とともに「織田信長」に従っていたが、信長の死後は小牧長久手の戦いなどで「徳川家康」に与したため豊臣秀吉から所領を没収され、苗木は「河尻秀長」の所領となった。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で秀長は西軍(石田三成)に与したため所領を没収され、代わって東軍に与して武功を挙げた「遠山友政」に1万500石が与えられて旧領復帰が許された。

苗木藩/場所・アクセス・地図 遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】

第3代藩主「遠山友貞」は新田開発を行なって4286石の新田を開発したが、第5代藩主「遠山友由」の大坂加番や第6代藩主「遠山友将」の駿府加番による出費、それに第7代藩主「遠山友央」の相続に伴う500石の幕府返上などがあり財政難が続いた。

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最後の藩主第12代「遠山友禄」は文久元年(1861年)と元治元年(1865年)の2度にわたって若年寄となった。慶応元年(1865年)には大坂警備の任に就き、第二次長州征伐にも参加したことで出費が重なり藩財政は火の車となり財政は破綻した。将軍慶喜により「大政奉還」がなされると幕府に帰領願いを出し許された。そして、東山道鎮撫岩倉総督の元へ向かい恭順の意を伝えた。この後、苗木藩は信濃に出兵している。

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戊辰戦争では新政府軍に恭順したことで事なきを得た苗木藩は、明治4年(1871年)の「廃藩置県」によって苗木県となり、その後は岐阜県に編入された。

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